2400ドルで買ったカルマンギアが、二年後に4000ドルで売れて、500ドル足したらジャガーMK-IIになった話は前回。今度は私のカブトオートセンターで、商売としてVWカブト虫を扱った話。
その頃、駐留軍向けカブト虫の免税価格は、ヤナセで1200ドル=邦貨換算で43万2000円。少し前に日本人が買えた頃は100万円前後だから実に安い。といっても60年頃の大卒初任給は1万数千円だから高嶺の花だが。
日本スポーツカークラブの中村育民会員から紹介された、大和証券の広田さんからコンディションが良いカブト虫をと依頼された。
が、運悪く赤坂界隈にカブト虫の上物がないので、駐留軍基地から直接仕入れることにして、何人かのブローカーに依頼した。
で、張り巡らせたアンテナに飛び込んできた情報から、ワシントンハイツに在る一台を選び出した。ワシントンハイツは現在の代々木公園で、米軍将校や軍属の住居が並んでいた。
下見に行くと、ホイールキャップが外され、ステップやペダルにまでガムテープが貼ってあり、ワックスでピカピカの1960年型が、まるで新品同様なので気に入った。が、売る立場から、今度は買う側になると、実にしたたかな持ち主で、こいつは儲けすぎという売値だった。原価計算をすると200万円。これでは儲けが出ない。当時の相場は上物で180万円ほどが客に納める値段だった。
が、とりあえず広田さんに新品同様のカブト虫を見せると、これに決めたということで、商談成立。通常マージンを10%ほど頂戴するのだが、半分にして210万円で納車することが出来た。
すると、いま家を建てているが、追加発注のガレージが出来るのに数ヶ月かかるので預かって欲しい。誰に聞いたのか「乗らないと痛むそうだから乗っていて下さい」ということで、数ヶ月間マイカーのように乗り回すことになる。
写真トップは、そんなある日、箱根に出かけて撮ったものだが、背景の立て看板を虫眼鏡で見ると”芦ノ湖スカイライン仮設道路入口”とある。今では景色が楽しい有料道路は、ちょうどその頃に建設中の砂利道で、もちろん無料だった。
この1960年型のカブト虫は、54年からの1192㏄が30馬力から34馬力にパワーアップして、オーバーステアになりやすくなった反面、加速がずっと良くなった。
広田さんのカブト虫は気持ちよく取引が終わったが、苦い経験をしたこともある。
ポンティアックで登場のクラスメイト西村元一の父親、国際自動車興行の西村社長から、次男が大学を出たのでカブト虫を探して欲しいと頼まれた。早速、赤坂で在庫を探した。
直ぐに山王自動車から話が来たのが1956年型。キャンバスのスライディングルーフ型が気に入ったということで、30万円の内金を父親から預かって支払った。
通常なら、内金を払って一週間もすれば、通関、登録、引き渡し、残金を精算して取引終了だが、何時まで待っても連絡無し、電話を掛けても不在、梨の礫に困ってしまった。
山王自動車の竹田社長が、親友から紹介されたことで頭から信用したのがまずかったと気が付いた。やはり、梁山泊の住人として用心すべきすべきだったのである。
で、こちらも仕事柄、赤坂にはたくさん知り合いが居るから、その車の元の在庫が何処か探すことにして、そこら中に電話を掛けまくった。が、片端から竹田には車を出してないという回答が続いた。
いろはカルタではないが”犬も歩けば棒に当たる”で、やがて新橋第一ホテル近くの日比谷商事が出所と判明した。
「通関済んでいるのに金を持ってこない」と云う。「内金に30万円渡してあるが」と聞くと「一銭も入ってない」。とどのつまり30万円は持ち逃げされたのである。
前にも取引したことがある日比谷商事「青木さんだったら直接やって竹田に口銭落とせば良かったね」と話し合っても、あとの祭り。結局、不足の30万円が私の懐から消えて、カブト虫を引き取り、一件落着となった。
梁山泊は、善鬼も悪鬼も住んでいた。とにかく海千山千の強者共の住みかだったのである。