【車屋四六】世紀の大レースがあったのは明治41年だった

コラム・特集 車屋四六

時はまさに明治41年というから1908年のこと。ニューヨークパリ間二万㎞という大レースが開催された。こいつは65年にワーナーブラザースで映画化の{グレートレース}…未だ珍しい70㎜パナビジョンの大型画面に胸をわくわくさせながらの見物だった。

写真は優勝車トーマスフライヤーで米国ハーラーコレクション所蔵の本物。が、ハーラーコレクションは既にない「収集家のカミさんは亭主のガラクタ集めに指輪でも買ってよと苦虫をかみつぶしている・そんな亭主が死ねば売り飛ばして日頃の鬱憤を晴らすんだ」とは知人の米人ジャーナリストの解説。

ハリウッド黄金期の映画は、トニーカーチスとナタリーウッド、他にジャックレモン、ピーターフォーク等々、流れるサウンドはヘンリーマンシーニという豪華な顔ぶれだった。

さて、このレースの開催は{ニューヨークタイムス/米とルマタン/仏}でエントリーは6台…米トーマスフライヤー、独プロスト、伊ツスト、仏のドディオンブートン&シゼール&モトブロック。

レースは、タイムズスクエアを2月12日にスタート、優勝者のパリ到着が7月26日、実に169日という長丁場過酷なレースだったのだ…優勝トーマスフライヤー、二位プロスト、三位ツスト。

ちなみに、2台が日本を通過している…このレース自動車文明夜明け前らしく、道がなければ道を作り、川があれば筏を作り、時には担ぎ、と入り目お構いなしの人海戦術が駆使された。

さて、話題のトーマス社は、ニューヨーク・バッファローに02年創業、03年自動車を売り出す。当初 チューブ型冷却器でルノー型ボンネットだったが、04年には普通のボンネット型に進化、中身は三気筒2.5ℓだが、05年には四気筒の40馬力と50馬力、六気筒60馬力を揃え、二座席レーサーから、豪華リムジンまでとフルラインナップ体制を整える。

社主A.R.トーマスはレース好きで、早速バンダービルトカップに挑戦05年8位/ベストラップ108km/h、08年フランスGPはリタイアするもバンダービルトカップ5位、そして世紀のビッグレースに優勝するのである。

当時のトーマスフライヤーは、K40型:四気筒40馬力、K60型:六気筒60馬力だが、J.シャスター&M.ロバート操縦で見事パリ一番乗りを果たしたのはK70型72馬力、気筒容積は実に1万2800ccというモンスターエンジンを搭載していた。

さて、ハーラーのトーマスフライヤーを見ると、丸いガソリンタンクにNEWYORK TO PARIS、ステップ付近にTHOMASFLYERの文字。ステップに工具箱、直前の円筒タンクは何だろうか。

ハーラー博物館:ブガッティ、デューセンバーグ手前など高価なクラシックカーがずらりと並んでいる

ウッドスポークのタイヤはニューマチックではなくソリッド型。大きなヘッドランプは、スペアタイヤ脇の黒いアセチレンガス発生器から供給されるガスで点灯、当時きわめて明るい光源だった。
ちなみにアセチレンガスランプは、小型発電機が登場する以前の昭和30年頃までの夜店や露店で、よく見られた光源である。