【車屋四六】ジャガーEタイプ

コラム・特集 車屋四六

今ではジャガーと云えば、押しも押されぬ高級サルーン&スポーツカーの名門で、スポーツカーの始まりは49年誕生のXK-120だと云って良かろう。もっとも歴史は戦前にさかのぼるのだが。

念願のルマン24時間優勝が、51年登場のCタイプ。勢いに乗り次作Dタイプで、実に通算5回優勝という快挙も成し遂げている。
Dタイプは、第一回日本グランプリの鈴鹿で快音を響かせたから、オジンマニアなら想い出すはず。

当時の対戦相手を思い出してみよう。優勝ロータス23、そしてロータス11ルマン、ロータス7、トライアンフ、オースチンヒーレイ、華麗な操縦技術を披露したフォン・ハンシュタインのポルシェカレラ、フェラーリ250GTvsアストンマーチンDB-4。

そんなGPとは別レースの、国内GT-ⅢにはジャガーXK-Eが5台もエントリー。闘う相手は、ベンツ300SE、オースチンヒーレイ等々。トップゴールはオーエンのXK-Eだったが特別参加のため、順位繰り上がりでの優勝が横山達のXK-E。二位ベンツ、三位にもXK-Eが入った。

翌年第二回日本GPでもXK-Eは元気で、横山達、安田銀次、伊藤一夫、渡辺三三、青木周光。これだけ並んだ姿は壮観だった。

さて、未来から来たような姿をしたXK-Eの誕生は61年。52万円だった21インチカラーテレビが44万円に、17インチが35万円と、大幅値下げが話題になった年である。ちなみに10本入り両切りピースや盛りそばが40円の頃である。

ジャガーXK-E―2台:クラシックカーイベント到着地の日光湯元で。日本人所有

その頃TVに押されて人気下降気味のラジオタレントの人気順位を文化放送が発表した。①森繁久弥②コロンビアトップ・ライト③江利チエミ④フランキー堺⑤中村メイコ⑥小島正雄⑦ロイジェームス⑧一龍斉貞鳳⑨水之江滝子⑩有島一郎⑪三国一朗⑫ジェリー藤尾⑬ミッキーカーチス⑭林屋三平⑮石原裕次郎。
オジンには懐かしかろうが、大部分が鬼籍に入ってしまった。

さて、大活躍のXK-Eが誕生する前、幻となったXK-Sというスーパーモデルが存在した。ルマンで活躍のDタイプのロードバージョンと思えばいい高性能スポーツカーだが、幻と呼ばれる由縁は、コベントリー工場の火災で出荷直前の完成車受難。工員が押し出して難を逃れた数台を除いて消失したので、幻となる。

XK-Eの心臓は、伝統の直六DOHCで3782cc・265馬力。トップスピード240km/h。62年、主要輸出先アメリカの要望で、4235ccになるが馬力はそのまま。が、トルク増大で扱いやすくなる。

75年、更に気筒容積を拡大して5443cc・272馬力に。が、世界中のスポーツカーファンに魅力を振りまいたXK-Eは、75年をもって市場から去っていった。
振り返ってみれば、ジャガーXK-Eは、ジャガー最後のスパルタンなスポーツカーといえる作品だったと思う。

ジャガーDタイプ:同型のDタイプが第一回日本GPに出場ワンツーフィニッシュのロータスに次いで3位。ドライバーは英国人F.フランシス

自動車ファンの中には、車と闘うことを無上の喜びと感じる連中が居る。遙か先の長いボンネットの鼻先を意のままに振り回す、足を踏ん張り腕力必要、操縦技術も体力も必要だが、そんなスパルタンなスポーツカーこそが、かつてはジョンブルが大好きなブリティッシュスポーツカーなのだろうと思う。