ライトウェイトスポーツカーでは英国の銘ブランドMGが95年に復活して、ローバージャパンから発売されたので取り上げた本紙96年7月の記事のリメイク版が今回である。
昭和30年代の日本では、MGといえばスポーツカーの代名詞だった。スクーターが来ればラビット、軽飛行機のセスナは、何故かいまだに代名詞のまま使い続けられている。
代名詞MGの始まりは、WWⅡに負け、やってきた進駐軍の兵隊が持ち込んだMG-TDからだろう。もっともTDの前にTCがあるのだが、日本人に両車の区別は付かず、数が多いTDが代名詞の源流とするのが正しかろう。
彼等の二座席ロードスターには、シンガー、トライアンフ、オースチン、ジャガーなど沢山あったのに、MGが代名詞になったのはクラシカルな姿が目立ち存在感があったからだろう。
当時、MGの輸入元は赤坂溜池の日英自動車で、モーリスやウーズレイ、ライレイなども扱っていた。ダイムラーのエージェントでもあり、ストレイトエイト・リムジンを店頭で見たことがある。
MGの創業は、パリオリンピックが開催された24年(大正13)だが、創立時はMGではなくモーリスガレージを名乗った。創業者セシル・キンバーがモーリスの販売業者だったことでうなずける。
MGを名乗るようになるのは、アムステルダムオリンピックの28年(昭3)で、このオリンピックでは、三段跳び織田幹雄、平泳ぎ鶴田義行が金メダルに輝いた。
MGのTシリーズは後に一世風靡することになるが、その源流MGミゼットの登場が29年。この年日本では、上野松坂屋にエレベータが登場、そして本邦初エレベーターガールが話題になった。
さて、Tシリーズの元祖、MG-TAの誕生は36年(昭11)でベルリンオリンピックの年。この年カツ丼の元祖が登場するが、初めは豚カツではなく牛カツだったから、カウ丼だったという。
TAは評判も良く、39年にTBへと進化する。そしてWWⅡを迎え終戦。戦後に登場したのがMG-TC。こいつが英国国家に多大な功績をもたらした。
ヨーロッパに進駐したアメリカ兵が、可愛いTCを見つけて買い求め、アメリカに持ち帰ったのが切っかけで、世界一のスポーツカー市場アメリカにMGの流行が始まった。
49年、TCからTDに進化してベストセラーに。この年、日本ではブギの女王笠置シズ子が病欠して、有楽座で“東京ブギウギ”を唄った代役が、美空ひばりのデビューとなる。
ちなみにTDの諸元は、全長3734㎜、全幅1518㎜、ホイールベース2388㎜。車重875kg。前輪Wウイッシュボーン、後輪リーフリジッド。水冷直四OHV1250cc、圧縮比8、57hp/6000rpm、4MTフロアシフト。
TDはアメリカばかりでなく日本でも大人気だったが、敗戦貧乏の日本では、誰でも買える代物ではなかった。ヤミ成金、そして芸能人が乗っているのを羨ましく眺めたものである。
三船敏郎、三国蓮太郎、草笛光子、マエタケこと前田武彦、等々、東京の街角をさっそうと走り抜ける姿が格好良く、うらやましく眺めていたものだった。
一世を風靡したMG-TDも、時代と共に古さを感じるようになり、直立したラジェーターグリルがスラントしたMG-TFになるのが53年(昭28)で、NHKのTV放送開始の年だった。
NHKそしてNTVで日本のTV放送が始まるのだが、やがて民放も増えて、TVは白黒からカラー放送に進化する。
そのカラー化普及に拍車をかける切っかけが、59年(昭34)の皇太子殿下御成婚(現平成天皇)行事の中継放送。
そんな59年、日本に国際レベルに達した小型車ブルーバードが誕生。一方、一世を風靡したMGのTシリーズは終焉を迎えて、全身これ流線型のMGAにバトンタッチする。