【車屋四六】もう一つフィアット600

コラム・特集 車屋四六

フィアットトポリーノは発売以来売り上げナンバー1のままベストセラー街道をひた走る。WWⅡ以後も人気は衰えず、600登場の直前でも、イタリアで売れる四分の一がトポリーノだった。

が、思い切ってのモデルチェンジはFRからRRへ。鬼才ジアコーザ開発のフィアット600、そして一年遅れて登場したのが、サイズを縮めた廉価版500。

二車共に人気は上々、市場で猛威を振るい、イタリー生まれの新車の半分が500と600で占められるほどになる。その後600は、安全対策目的で前開きのドアが常識的な後開きに改まる。

その進化型を600Dと呼ぶが、エンジンも767cc25馬力に強化された。それはそれとして、600が登場したばかりの56年、600ベースの思い切りユニークな乗用車を発表した。
日本で、芥川賞受賞の石原慎太郎作“太陽の季節”が映画化されて、石原裕次郎が俳優デビューした年だ。

映画のヒットで“太陽族”なる流行語が生まれ、その後“狂った果実”処刑の部屋“などを連発”太陽族映画“が流行語になる。が、こいつが若者達に悪影響を及ぼして問題を提起した。

興奮した若者達、いうなれば太陽族気取りが、繁華街や海水浴場で喧嘩を売り、娘を酒や睡眠薬で朦朧とさせての強姦事件などで、オカミが動き出すほどにエスカレートしたのである。
で、太陽族映画規制法案が提出されることになるが、寸前に映画業界の自主規制で、法案提出は回避された。

さて、600ベースのユニークな車とはムルティプラ。
600をベースに生まれたステーションワゴンというよりミニバン、当時としては奇想天外な乗用車だった。(写真下:戦前生まれのトポリーノは戦後近代的姿に変身しても実質二座席で後席窮屈。が、ワゴンなら後席も楽に。FRでラジェーターがエンジン後部だから放熱向上用スリットがボンネット上に)

当時はステーションワゴンと呼んだが、コンセプトはミニバンの元祖、SUVの先取りだった。2000㎜のホイールベースがそのままなのに、何と三列シートで六人乗りだった。

子供が多い家庭のファミリーカーとして大人気。73万リラという低価格も受けた。後部座席を畳んで平らにすれば大量の荷物が積め、時には寝ることも出来る、多目的ユース車の傑作だったのである。

その便利さに気づいたのがタクシー業者。中央シートを折りたためば、ロングホイールベース・リムジンと同じ形式の超小型版一丁上がりということで、タクシー専用車が登場したのである。

このタクシーも人気で普及、イタリア中、何処の街でも見掛けられるようなった。私も何回か乗ったことがある。

1968年のローマで見かけたムルティプラのタクシー。二列目シートを格納した状態では感心するほど客室が広い。が、乗り心地は悪かった