トヨタ自動車は10月29日、「Japan Mobility Show 2025(ジャパンモビリティショー 2025)」(プレスデー:10月29日~30日、一般公開日:10月31日~11月9日、開催場所:東京ビッグサイト)の会場において報道人向けプレスブリーフィングを実施した。
トヨタ自動車は、センチュリーをトヨタブランドの一車種ではなく別の「センチュリー・ブランド」として独立させることを宣言。センチュリー、レクサス、トヨタ、GR、ダイハツの5ブランドに再構築することを発表した。
豊田 章男 代表取締役会長のプレゼンテーションでは、「日本」を背負って生まれた、「最高峰」にして「別格」のクルマとしてセンチュリーを紹介。私流の「センチュリー物語」を語った。
1963年、トヨタ初の主査である中村 健也 氏がセンチュリーの開発を担当。開発・生産・販売のすべてにおいて一貫して「同じでないこと」という姿勢にこだわり、斬新なアイデアや革新的な技術に果敢に挑戦。鳳凰のエンブレムに「江戸彫金」、シート生地に「西陣織」など「日本の伝統・文化」を取り入れるなど、「同じでないもの」を生み出すために、「最新技術」と「日本の伝統・文化」の融合にこだわって開発が行われた。
初代センチュリーから3代継続して豊田 章一郎 氏の愛車となっており、時代、時代のエンジニアに対し、「高速道路を走る時の直進性だけはしっかりやってくれ」「横風対応は大丈夫か」など、毎日のように改良の指示を出し続けたという。
豊田会長は、センチュリーのこだわった章一郎氏と中村氏の胸中にあったのは、終戦のわずか3か月後に喜一郎氏が立ち上げた「自動車協議会」(「日本自動車会議所」の前身)に込めた想いだと語った。
自動車協議会の立ち上げに際し、喜一郎氏は「民主主義 自動車工業 国家を建設し、平和日本の再建と世界文化に寄与したい」と述べており、「平和日本の再建」には「自動車工業が原動力となり、日本の人々に笑顔と平和な日常を取り戻したい」という産業報国の精神が込められており、「世界文化への寄与」とは「異なる国や民族が持つ文化の理解や交流を通じて、より良い社会を築くこと」だとしている。
さらに、当時の日本に必要だったものは「日本に生きる人間としてのプライド」だったのではないかと述べ、だからこそ、中村氏は喜一郎の息子である章一郎氏とともに、日本の伝統に支えられた、世界に誇れるクルマ、世界の平和と文化の交流に寄与できるクルマをつくろうとしたのではないかと説明。「ジャパン・プライド」を背負って生まれたクルマがセンチュリーだとした。
また豊田会長は、センチュリーという名の由来は「次の100年をつくる」という意味に受け止めていると語った。センチュリーには世界が平和な時代にのみ姿を見せる伝説の鳥「鳳凰」のエンブレムが刻まれており、単なる車名ではなく、世界の平和を心から願い、日本から「次の100年」をつくる挑戦こそが、センチュリーなのだと述べ、中村氏のスピリットを受け継ぐ仲間とともに、今回、「センチュリー・ブランド」を立ち上げることを決定したと説明。
最後に、「One of One」、中村さんの言葉を借りれば「同じでないこと」。センチュリーは、トヨタ自動車のブランドの1つではなく、日本の心、「ジャパン・プライド」を世界に発信していく、そんなブランドに育てていきたいと締めくくった。

 
					





















 
						 
						