アルピーヌを、フランスのロータスと表現した人がいた。ロータスは英国フォードがベースだった。一方アルピーヌは、ルノーをベースに成長したが、ベース元との親密度ではアルピーヌが上である。
アルピーヌの販売はルノーまかせだった。もっともルノーにとり、開発費ゼロで高性能スポーツカーをカタログに載せられるのだから{濡れ手であわ}という旨い話だったろう。
WWⅡ中、ドイツ軍が行ったり来たりで、フランスは戦勝国なのに経済疲弊で立て直しが必要。で、大型車に重税を掛けたから、伝統の高級車がフランスから姿を消した。事実上は禁止令である。
が、小型のルノー・プジョー・シトロエンを優遇した結果、個性ある小型車やスポーツカーも消えてしまった。
それに抵抗して、最後まで孤軍奮闘したタルボも、時流には勝てずに消えようとした時に登場したのが、アルピーヌだった。
アルピーヌの誕生は56年/昭和31年だが、開発車のジャン・レデールは、父親がルノーの代理店主だったことから、当時の大量生産車4CVを、ベースに選んだのは当然のなりゆきである。
日野ルノーで知られる4CVは、戦犯でフランスに囚われていたポルシェ博士が関わったという専門家もいるが、誤りのようである。

アルピーヌのプロトタイプは、異様に長いテイルにフィンをつけて、51~54年のルマン24時間レースに出場、また過酷なミレミリアに参戦して好成績を残し、知名度を上げていった。
これで56年に売り出すアルピーヌ・ミレミリアA106の語源がお判りいただけるであろう。
ミケロッティがデザインのA106は、チューブラーフレームにFRPボディーというコンビで、軽量化と高剛性を実現している。
4CVからのエンジンも、チューニングで43馬力に達して、3MT変速機は5MTになり4CVより最高速度が50㎞もうわまわり、170㎞に達していた。
さて、製造元のルノーは、59年アメリカ市場向けに、ドーフィン5CVを開発するが、アルピーヌも、それをベースにA108を開発する。アルピーヌ・ベルリネット・ツールドフランスA108だ。
ドーフィンエンジンの30馬力は60馬力にチューンされて、公表最高速度は170㎞に跳ねあがる。
63年には、ルノーR8用エンジンをチューニング搭載のA110が登場するが、気がつくと、名前からツールドフランスが消えていて、単にベルリネット1300Sになっていた。
1300Sの名のように、OHVエンジンは、1296cc・132馬力にチューンナップされたので、最高速度は実に215㎞に達した。
日本の輸入車ショーの写真は67年に撮ったものだが、ドライビングランプが埋め込まれているから、68年モデルということになる。
ベルリネッタ1300Sは、理想的ラリーカーと呼ばれて、70年のワールド・ラリーチャンピオンが、ポルシェに次いで二位。71年には、モンテカルロラリー制覇を含めて、連勝街道を突っ走り、シーズン半ばでチャンピオンが決定するほどの猛威を振るったのである。
