【車屋四六】ルノー・ドーフィン

コラム・特集 車屋四六

昭和31年1月第34回芥川賞は{太陽の季節}後に参議院議員から東京都知事になる石原慎太郎の作で、5月日活で映画化決定。
主演・石原裕次郎は、慎太郎の弟ゆえの宣伝効果狙いだったろうが、新人のために補佐役として選ばれたのがベテラン女優・北原三枝、後の裕次郎夫人だった。

同じ年{東京従業員組合}なるものが結成されて話題に。
{売春防止法}制定で「仕事なくなりゃ食えなくなる」という赤線地帯の現役売春婦達が狼煙(のろし)を上げたのである。
そんな昭和31年/56年に、ルノー・ドーフィンは誕生した。

ドーフィン開発の動機は、47年に登場、一世風靡した4CV、日本では日野ルノー4CVとして活躍した名車の後継モデルだった。

もっとも、ヨーロッパや日本では人気の4CVも、ドル稼ぎのアメリカ市場では小さすぎる、ということで、4CVをベースに大型化という目的もあったのである。

全長3945㎜、全幅1520㎜、WB2270㎜。車重635kg。3MT。
4CVより、WBで170㎜、全長で300㎜長くなり、エンジンも拡大されて845ccで26.5馬力に。最高速度も115㎞に上昇。

開発目標のアメリカ市場では成功。VWビートルに次いで二位の座を得て、68年までという長寿命車になり、累計200万台生産という、ルノー社における生産記録も樹立した。

写真のドーフィンは58年からのもの。サイドのメッキのモールがないから、対米輸出用ではなく、欧州向けと推測できる。
ホイールも通常のハブナッで脱着するタイプで、それ以前は4CVと同じように周辺ナットでリムを外すタイプだった。

ルノー・ドーフィンのRRと別に登場したFWDのルノー4

ルノーは61年に、斬新なFWDルノー4が誕生して、4CV以来のRRシリーズと二本だて販売になるが、いつRRを止めるのかと思っていたら、62年にR8を登場させてRRも進化させていた。

写真(トップ写真)のドーフィンが登場した58年/昭和33年、有楽町朝日新聞ビルの隣だった、日劇でのウエスタンカーニバルを想い出す。
それが{グループサウンズ}GSブームの始まりだった。それからの日劇は、押しかけた若者達が、演奏につれて絶叫し、ステージに駆けのぼり、歌手に抱きつき、あげくの果てには興奮で失神ということも日常茶飯事となった。

そんな興奮をテレビ中継で見た大人(親)達は眉をひそめ、退廃的場面の中継はけしからんと、テレビ局に抗議をして大騒ぎになったりもした。

それはそれとして、当時デビューした新人、いまでは消えた人、いまでも生きのこって活躍している人、さまざまだ。
JAL御巣鷹山墜落で散った坂本九、俳優で活躍した小坂一也、二代目水谷八重子襲名・新派の水谷良重、作曲家になった平尾昌晃、立川談志の弟子になったミッキー・カーチス、かまやつひろし、守谷ひろし、柳家金語楼の息子・山下敬二郎…当時の姿が懐かしく目に浮かんでくる。

67年頃、ドイツの街角で見掛けたルノー4