【車屋四六】ラリーをやるには金がいる
スピードパイロット4万円、ツインマスター4万円、トリップマスター2.7万円、トリップメーター1.6万円。 65年/昭45年頃のハルダの広告は、世界のラリースト御用達の車載計測器だった。1個4万円!…大卒初任給3.5万円、 […]
続きを読むスピードパイロット4万円、ツインマスター4万円、トリップマスター2.7万円、トリップメーター1.6万円。 65年/昭45年頃のハルダの広告は、世界のラリースト御用達の車載計測器だった。1個4万円!…大卒初任給3.5万円、 […]
続きを読む初代チェリーが誕生した昭和45年/70年、大阪万博、東名高速全通、マイカー四所帯一台に、と日本の景気は上り坂だった。 流行語も{モーレツからビューティフルへ/CM小川ローザ}。大衆の意識も、生活にゆとりが生まれて変わりは […]
続きを読む昭和31年1月第34回芥川賞は{太陽の季節}後に参議院議員から東京都知事になる石原慎太郎の作で、5月日活で映画化決定。 主演・石原裕次郎は、慎太郎の弟ゆえの宣伝効果狙いだったろうが、新人のために補佐役として選ばれたのがベ […]
続きを読むアルピーヌを、フランスのロータスと表現した人がいた。ロータスは英国フォードがベースだった。一方アルピーヌは、ルノーをベースに成長したが、ベース元との親密度ではアルピーヌが上である。 アルピーヌの販売はルノーまかせだった。 […]
続きを読む変速操作不用のスクーターとは便利な二輪車だが、大メーカーのホンダ・スズキ・ヤマハには長い歴史がある。 そもそも量産の始まりは、昭和21年=敗戦翌年の1946年。貧乏にあえぐ国民のビジネスカーとして、シルバーピジョン/三菱 […]
続きを読む欧州中が戦場になった第二次世界大戦は、戦勝国も被害甚大、それでバブルカー(軽)が雨後の筍のように戦後登場した。で、写真のハノマーグも、その中の一台だと、私は長年思い込んでいた。そんなハノマーグに、ドイツの博物館で出会った […]
続きを読む昭和30年頃の日本は朝鮮戦争特需のきっかけで、敗戦からの貧困を脱して、生活にゆとりも生まれはじめていた。 ちなみにこの時代を{神武景気}と呼び、庶民家庭の電化がはじまり、働き疲れを癒す{船橋ヘルスセンター}なども登場、食 […]
続きを読む私が小学生のころ、英語は敵の言葉だから使ってはいけなかった。が、戦争前の雑紙で、自動車の写真に{オートモビル}と書いてあって、これが私が最初に憶えた自動車関連の英語だった。 外国など全く知らない少年は、それから発展して{ […]
続きを読む東麻布の私の家から歩いて1分の所の地下に、ワカヌイという店がある。ニュージーランド産のビーフとラムが安くタップリと評判だ。前はサルバトーレと呼ぶ、知られたイタメシ屋だった。 店はビルの地下だが、ビルになる前は、戦前から二 […]
続きを読むむかし報知新聞・自動車クラブ連盟{主催}。読売新聞・警視庁・JAF{後援}。グッドイヤー・パンアメリカン航空・シェル石油・STPグループ{協賛}、と蒼々たる顔ぶれが並ぶ{日本ベストドライバーズ・コンテスト}という大会があ […]
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