【車屋四六】マツダK360軽自動車
かつて日本の道路は、三輪車が闊歩していた。値段が安く狭い道で小回りがきくという道路環境に適していたかららだ。うるさい音からバタバタと呼んだ三輪貨物自動車/オート三輪の誕生はWWⅡ前で、戦後に復活、日本の流通に大役を果たし […]
続きを読むかつて日本の道路は、三輪車が闊歩していた。値段が安く狭い道で小回りがきくという道路環境に適していたかららだ。うるさい音からバタバタと呼んだ三輪貨物自動車/オート三輪の誕生はWWⅡ前で、戦後に復活、日本の流通に大役を果たし […]
続きを読むジープは、世界で最も著名な車の一台だと思う。WWⅡで世界の戦場を駆け巡って以来のことで、四輪駆動車の代名詞的存在になり、四輪駆動車の元祖と思っている人も居るが、本当は違う。 独特な個性せいか、紆余極性と遍歴を重ねながら、 […]
続きを読むラスベガスの博物館で軍用ハーレーダビッドソンを見つけた。終戦直後に進駐軍が使っていたから懐かしい。ハーレー創業は1903年で、ライバルのインディアンは2年年上の1901年生まれ。 さて内燃機関で走る自動車の歴史は、ダイム […]
続きを読む貨物自動車には大中小があり、大型には多軸車もあるが、中小型は大部分が四輪…その小型四輪をさかのぼるとオート三輪時代になり、日本中を三輪車が走り回っていた。 オート三輪とは、WWⅡ以後の呼び方で、戦前は軍国主義の敵性用語と […]
続きを読む国際会議でデンマークに行った友人が、貴族のミュージアムで撮ったというのが、1946年型ビュイック…北欧貴族が米車とは不思議だが、WWⅡ直後、欧州の高級車は生産再開が遅れ、再開が早い勝利で輝き始めた米国高級車に興味を持っ […]
続きを読む世界初人工衛星ソ連のスプートニクが宇宙に飛んだ昭和32年、日本ではカラーTV放送が始まり、NHK技研で19型カラーTVの国産化に成功するが、未だラジオ放送も健在だった。 昭和32年/1957年に、ドイツでは異色の軽自動車 […]
続きを読むNSUを知っている人も少なくなった…NSU=ネッカースウルムの頭文字。工場が独ネッカー河のほとりにあり、それにちなんだものである。(Neckars Ulm) NSUの創業は1873年/明治6年だから、日本でカレンダーが陰 […]
続きを読むフォード社の創業は、ライト兄弟が36.42ⅿ飛んで世界初飛行を記録した1903年(明治36年)だが、08年登場のT型が25年に総生産量1000万台を越える大ヒットで大企業に。 当時の世界の四輪車全保有台数が2276万台と […]
続きを読む車の横腹が平らで凹凸がないデザインをフラッシュサイド・ボディーと呼ぶ。WWⅡ以前、車には四輪をカバーする泥よけ=フェンダーがあったから、乗用車の横腹は凸凹だった。 フラッシュサイドの元祖はフォードと云われているが、カスタ […]
続きを読むこの写真だれから貰ったのか思い出せないが、物書き仲間の物故者、池田英三か金子寿麻呂、浅草の江戸っ子佐藤健司あたりだろう。(写真トップ:オールズモビル、クラウン、ヒルマンと並んでいるが、どこで撮ったのか判らない/昔のカー& […]
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