【車屋四六】昭和30年代・数寄屋橋・尾張町界隈
戦後30年頃の日本は、朝鮮動乱の特需景気で少し暮らしが楽になったが、講和条約締結で昭和27年に占領終了後も、全国津々浦々米軍キャンプや施設が残り、米兵が闊歩していた。 日劇から撮ったニュー東京も、日本人立入禁止の米軍専用 […]
続きを読む戦後30年頃の日本は、朝鮮動乱の特需景気で少し暮らしが楽になったが、講和条約締結で昭和27年に占領終了後も、全国津々浦々米軍キャンプや施設が残り、米兵が闊歩していた。 日劇から撮ったニュー東京も、日本人立入禁止の米軍専用 […]
続きを読む日本で生まれた自動車は意外に古く、19世紀末ドイツで内燃機関自動車が生まれて20年ほどが経った頃だった。 が、当時の金満家御用達は、やはり輸入外国車ばかりだった。 その頃、徐々に力を付けてきた日本陸軍は{富国強兵}をモッ […]
続きを読む2005年4月1日の東京新聞芸能欄にTVK/テレビ神奈川の人気番組{新車情報}終焉予告が掲載された…全国13局、ケーブルTV15局などにTVKから配信された全国的人気番組だった。 4月3日が最後の新車情報の開始は1977 […]
続きを読むFFとは日本独自の用語で、英語ではFWD。いずれにしても前エンジン+前輪駆動を指すが、その元祖をミニと思っている人が意外に多い。日本に限れば元祖はシビックということになる。 が、FWDはWWⅡ以前からのもので、名の知れた […]
続きを読む日本は世界一の二輪生産国だが、昭和30年頃は、富士重のラビットや三菱のシルバーピジョン等のスクーター全盛期、二輪はメーカーが乱立し100社以上がシノギを削っていた。 「ウチは日本の五大メーカーだ」というので訪ねたら「五大 […]
続きを読む経営不振でBMWに身売り、BMWはミニを残しランドローバーをフォードに売却、買い手がないローバー部門を英国投資家がわずか20ポンドで買った話しもそろそろカビが生え始めた。 そもそもローバーは1904年/明治34年誕生とい […]
続きを読む既に死語になったろう{てんじょうてんがゆいがどくそん}は釈迦の言=この世にただ一つということ。とまではいかないまでも「そこらのとは違うんだ」と自己満足を楽しむ人達がいる。 で、そんな好みを満足させようと生まれた車会社が各 […]
続きを読む1950年代、スポーツカーの代名詞だったMGは、走ればシボレーやフォードより遅かったというように、スポーツカーには馬鹿っ早いのから遅いのまで種々雑多…要は走る楽しさが醍醐味で、ただ早けりゃ良いというものではないようだ。 […]
続きを読む実用的ゴルフと高級スポーティー・アウディという、本国での棲み分けが日本でも定着したようだ。が、此処まで来るには、長年の努力があったればこその賜物だったと云えよう。 スポーティーイメージの発端は、クワトロの登場以来で。乗用 […]
続きを読む近頃のアメリカは、走り屋にはつまらぬ国になった。あの広大な大陸、地平線から地平線まで延々と続く道路を、時速50マイル(80㎞)で走っていたのでは、それこそ日が暮れてしまう。 が、昔は、ビュンビュンと走ることができた。 せ […]
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