ステーションワゴンの源流、プリンス・スカイライン1500バンDX
スカイライン1500誕生は昭和38/1963年。鈴鹿で第一回日本GP開催、東京オリンピックに向けて首都髙工事が急ピッチで進められていた時だ。その首都髙の最初は芝浦~羽田間で50円だった。(写真右:首都髙の始まりは新橋土橋 […]
続きを読むスカイライン1500誕生は昭和38/1963年。鈴鹿で第一回日本GP開催、東京オリンピックに向けて首都髙工事が急ピッチで進められていた時だ。その首都髙の最初は芝浦~羽田間で50円だった。(写真右:首都髙の始まりは新橋土橋 […]
続きを読む昭和41年、春にサニー誕生、秋カローラ誕生で、日本の大衆車時代が始まった。昭和30年代半ばに登場のブルーバードやコロナも大衆車を名乗ったが、当時の貧乏大衆には高嶺の花だった。 敗戦後の極貧時代は、昭和25年朝鮮戦争の特需 […]
続きを読む自動車では後進国扱いだった日本生まれなのに、海外で有名になったブランドがウルトラ。その源流は、昭和29年東京大田区で創業した永井自動車だが、当初は用品開発メーカーではなかった。 英オースチンの輸入元・日進自動車と契約した […]
続きを読む私は1933年=昭和8年生まれなので、幼年期は太平洋戦争前だから現在84才。そのころ大人達は「円タクに乗るか」と云って何処かに出掛けたのを覚えている。 さて日本で客を乗せる有料自動車の誕生はかなり古く、手元の資料では明治 […]
続きを読む北京オリンピックの頃、ふと気になったのがTV雑紙の中国紹介に出てくるフートン=漢字で胡同とは、路地・横丁で、始まりは元の頃にさかのぼり、四合院形式の住宅街だったようだが、現在は路地の商店街という感じの観光名所にもなってい […]
続きを読む前回は北京の自転車だったが、今回は三輪車。 三輪車と云えば、昭和20年代に東京でも走っていた。敗戦で貧乏だった時代のタクシー代わり、また外人の観光用だった。 上海でも走っていたが、21世紀に入った頃の北京は三輪車の花盛り […]
続きを読む20世紀末、水戸黄門がスイスイと自転車で坂道を登るCMがTVに流れていた。電動自転車、正しくは電動アシスト自転車のCM。 その世界初誕生は1993年のヤマハPAS。次いで95年にホンダが参戦して、一気に普及が始まった。 […]
続きを読む2017年9月、品川から三田に向かう私をロールスロイスが追い越した。慌てて写真機を取り出したのは、何と日本にあるとは思いもしなかったステーションワゴンだったからだ。 20世紀中、日本でのワゴンは商用車の印象が付きまとって […]
続きを読む四輪駆動と云えば、悪路いや道なき道を走る自動車と思っている人が多いが、世界初の四輪駆動車は、速く走るために開発されたものだった。 19世紀末に誕生した自動車は、便利な移動運搬具というばかりでなく、人類が持って生まれた闘争 […]
続きを読むかつてセドリックとグロリアは日産の屋台骨だった。 セドリック初代誕生は昭和35年/1960年、プリンス・グロリアは更に古く59年だが、プリンス自動車と日産の合併で、合理化のため同一シャシーを使うようになった。 そんな両ブ […]
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