2017年9月、品川から三田に向かう私をロールスロイスが追い越した。慌てて写真機を取り出したのは、何と日本にあるとは思いもしなかったステーションワゴンだったからだ。
20世紀中、日本でのワゴンは商用車の印象が付きまとっていたが、ワゴンの本場米国ではセダンより高価で「ワゴンは高いのでセダンにした」という知人もいたほどだった。
もっとも舶来指向の日本らしく、輸入車は例外で、ベンツやボルボは憧れのステイタスカーだった。が、十把一絡げで商用車臭が、と決めつける日本で、唯一乗用車と認知されたワゴンがあった。
それがスバルで、レオーネ→レガシィと熱烈なファンを持ち、ターボバージョンはスポーツワゴンと誰もが認めていた。
■世界で唯一RE車をフルラインナップしたマツダ
さて、WWⅡ以前から戦後にかけオート三輪界のドンだった東洋工業は、軽自動車→登録車と四輪市場へ着実に進みながら、社名もマツダへと改名した。
当時はトヨタと日産が市場の巨頭で、マツダは其処に割り込む秘策を練っていた。それは世界中が量産技術を確立できないロータリーエンジン/RE完成へのチャレンジでもあった。
1959年ドイツから特許を得た世界中の企業が脱落する中、最初に抜け出したのがマツダで、試作成功が63年。そしてRE搭載のスポーツカー・コスモスポーツの発売が67年だった。
REで戦端を開いたマツダは「ロータリゼーション」のモットーを旗印に進撃を開始したのである。が、作戦は慎重で、始めはレシプロエンジンとRE二本立てで作戦を進めた。
コスモスポーツのRE専用搭載はPRの一端だったが、それからはファミリア→ファミリアプレスト→ルーチェと二本立て作戦が矢継ぎ早に進行していった。
そして機は熟せりとばかりに、RE専用車の投入を開始。カペラ→サバンナ→グランドファミリア→コスモ、そしてフルサイズのロードペーサーで、マツダは世界唯一フルラインRE車を揃えたメーカーになったのである。
そのサバンナに、当時の常識ではとんでもないワゴンが登場する。サバンナAPワゴン(トップ写真)は、ステーションワゴンとREのドッキングで、最高速度170㎞は、下手なスポーツカー顔負けの速さだった。
REの特質、コンパクト軽量高性能を生かし、どの車もライバルの性能を上回り、スポーティーを看板に、いよいよロータリゼーションの完成かという矢先、いきなり不幸がマツダを襲った。
73年に始まる石油ショックで、世界の自動車メーカーがダメージを受けた中、最も大きな被害を受けたのがマツダだったようだ。
「REは高性能だが大食い」のレッテルを貼られ、得意先の米国、もちろん日本でも売上げ急落、会社に危機が訪れるのである。(車屋四六)