ミスターKの功績
片山豊は、1998年10月12日に日産いや日本の片山から世界の片山になる。エジソンやフォード、名だたる偉人が名を連ねる米国自動車殿堂に顕彰された…日本人では本田宗一郎、豊田喜一郎、田口元一に次いで四人目の快挙である。 ち […]
続きを読む昭和30年代まで日本乗用車市場ナンバーワンは日産で、追うのがトヨタだった。が、そんな時代も終わり現在トップはトヨタ。20世紀末の日産はすっかり元気を失っていた。 「会社はトップの運で左右される」と気学の先生から聞いたこと […]
続きを読むランゲンブルク城のドイツ自動車博物館で、ロイトLP400に出会った時は嬉しかった。スズキ自動車初の四輪自動車開発で手本にした車で、これから説明が楽になると思ったからだ。 スバル360誕生の3年前、1955年にスズライトは […]
続きを読む私の海外旅行は商売柄自動車がらみが多いが、たまには観光や好きな飛行機博物館などいうこともある。1990年代、ワシントンのスミソニアン・海軍博物館・ポールガーバー修復工場、そしてLA郊外のチノ飛行機博物館を巡ったことがある […]
続きを読む我々オジンにとって戦争はWWⅡや朝鮮戦争だが、中年以降になるとベトナム・湾岸・イラク戦争と違ってくるが、1945年WWⅡ終結で独立宣言したのは仏領インドシナ、今のベトナムだった。 が、ベトナムに未練を残す元宗主国フランス […]
続きを読む古い飲み仲間でカントリーの第一人者ジミー時田がマウンテンプレイボーイズ(ベースいかりや長介)を結成したのが1957年。そんな年にフィアット1100TVトランスフォルマビレが発表された。(トランスフォルマビレ/伊語=ロード […]
続きを読む「パッカードの真価はオーナーに聞け」は創業以来の名文句…「セールストークは他社の商法」とうそぶき、その高級高品質は世界に浸透し、米国のロールスロイスとも称された。 ドイツが1939年、日本41年、WWⅡ突入で、米国自動車 […]
続きを読む江戸時代のキリシタン禁制が解かれた明治6年/1873年にドイツで創業したのがミシンメーカーのNSU/エヌエスウー。そしてNSUが自動車を作り始めたのが1905年/明治38年。日露戦争で旅順陥落、日本海でバルチック艦隊が壊 […]
続きを読むトヨタ2000GTの開発目標は、儲かる車造りではなかった。 目の上のタンコブだった日産との戦いに目処が立ち、次ぎなる目標は車では上から目線の自動車先進国に「トヨタここにあり」をアピールする作戦だったように思う。 で、58 […]
続きを読む高田嘉七は1931/昭和6年生まれ。昭和31年頃毎晩通う銀座のドイツ人経営ビアレストラン、ゲルマニアで知り合った50年来の友で、高田屋嘉平の七代目の孫なので嘉七なのだ。 司馬遼太郎{菜の花の沖}の主人公嘉平は、江戸豪商十 […]
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