フランク永井の愛車たち

コラム・特集 車屋四六

トップ写真は親しかった自動車評論家故池田英三から貰った。
今回の主人公はフランク永井、本名永井清人1932年宮城県生まれ。51年上京、進駐軍キャンプでトレーラー運転手のあと、朝霞キャンプのクラブで歌い始め、NHKのど自慢でチャンピオンになりビクターと契約してプロ歌手としての生活が始まった。
運転手時代からの愛称フランクは、尊敬するフランク・シナトラにあやかったものと云われている。

ジャズでは鳴かず飛ばずだったが、作曲家吉田正の薦めで歌謡曲に転向で芽を出し、57年三浦洸一の代役で歌った♪有楽町で逢いましょう♪有楽町そごうCMの大ヒットでスター街道へ。

フランク永井のレコードジャケット:車はジャガーEタイプだが他でも何度か登場しているので、彼の愛車ではないかと推測出来る。

次いで♪東京午前二時♪夜霧のブルース♪もヒット。61年の♪君恋し♪でレコード大賞、62年♪霧子のタンゴ♪とヒットを続発、独特な低音の魅力で一世を風靡した。

写真は、車の年代から彼の絶頂期と思われる。セドリックは60~62年、ジャガーMK-Ⅱとロータスセブンは推定60年前後。いずれもピンとしたナンバープレートから古いものではない。

故池田英三から貰ったフランク永井と愛車達の写真

セドリックが横目から縦目に変わったのが62年。好景気の彼なら直ぐに買い換えるだろうから、この写真は62年直後と推定して間違いなかろう

米国で$6000のジャガーMK-Ⅱは、外車輸入禁止時代の60年頃、赤坂虎屋の並びにあった新東洋企業で免税価格$4500/162万円。これが二年経過して日本人が買えるようになると、少なくとも倍額以上というのが当時の相場だった。

MK-Ⅱの性能は、直6DOHC・3781cc…SUキャブ二連装で220馬力・4MT・0-400m16.2秒・最高速度201㎞。乗り心地よくスポーティー…革張りのシートとインテリアでトリムがウオールナットと英国情緒どっぷりの雰囲気に満ちた車だった。

57年登場時キット販売だったロータスセブンは直4OHV・1172cc・SUキャブ二連装で36馬力だが、英国では多種エンジンがチョイス可能な仕組みになっていた。
多くのスポーツカーの中でも、ロータスの着座の低さはピカイチで地面に座っている感じだった。シャープなハンドリング、フラットなコーナリング、また乗り心地の悪さもセブンならでは醍醐味だった。

62年というと昭和37年、未だ日本では一般家庭に自家用車など高嶺の花。そんな時代にロータス、後方のマイクロバスを含めて4台もの自家用車、しかも2台は外車、芸能人が羨ましく思えた時代だった。が、彼の晩年は不幸だった。女性問題から1985年に自殺未遂。健康を害したまま2008年迄、遂に回復することなく消えていった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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