20世紀の幕開け1901年とは明治34年だが、この20世紀の始まりは内燃機関と共に飛行機の世紀突入でもあった。
1903年、米国でライトが飛んだと聞いて不快だったフランス人だが、その後も多種多様な飛行機が登場するも地上を這い回り、たまにジャンプはしても飛行と云えるようなものではなかった。
ようやく飛んだのが1906年で、サントスデュモンの14号機だった。第一号が14号というのは奇妙だが、確かに14番目の航空機なのだが、13番までは飛行船だったのだ。彼は忌み嫌う8をとばしたので、実際には13番目なのだが…いずれにしても、これで不満やるかたなきフランス人も胸を撫で下ろした。
サントスデュモンという人物は、ジュールベルヌのSFに取り付かれた、ブラジルのコーヒー王の息子で、恵まれた財力に物をいわせて夢の実現を果たしたのである。
彼の14番機の発動機は当初アントワネット24馬力だったが、2ヶ月後50馬力/1100回転にパワーアップして、220mを21.2秒で飛んだのがフランス飛行クラブに公認されて、FIA公認世界記録の第一号となった。
航空ファン必見のハリウッド映画「飛行機野郎」で、三着ゴールの単葉機が、デュモンの2号機ドモアゼルのレプリカで、発動機は原型より強力なVWの40馬力だった。が、撮影前の試験飛行で離陸出来ない…原因は、英人操縦士の体重が80kgと重すぎで、撮影には50kgの女性操縦士を探して飛ばした。
ドモアゼルは、デュモンの体重50kgに合わせたオーダーメードの自家用機だったのだ…ちなみに仏語{ドモアゼル}とはトンボという意味もあるそうだ。
いずれにしても、米国に先を越されて憤懣やるかたなきフランスの名誉は回復され、記念切手が出たほどだから喜びようは半端じゃなかったようだ。
余談になるが、デュモンは富豪らしくカルティエとの付きあいもあったようで、飛行機で飛びながら不便だったことをカルティエに相談したという。
デュモンの14-bis/14番機の写真では、立ち姿で操縦している。ようやく飛んだ飛行機だから不安定この上なしだったろうから、姿勢を保つにはデリケートな操縦が必要だったろう。
で、時計を見るのが大変(当時は懐中時計だから片手が使えなくなる)で「時計を腕に嵌めたいのだが」とカルティエに相談して、腕時計が誕生というエピソードを聞いた…それが今に続くカルティエのブランド{カルティエ・サントス}である。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。