WWⅡ以前の米車のポスター三枚

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これまで紹介したのは欧州の広告ポスターだが米国も同じで、時には一流画家を使い魅力をアピールするのは欧州同様だった。

1920年頃のフォードT型センタードアセダン。

最初のポスターはフォードだが、一家に車があれば家族でお出かけ。着いたレストランでお父さんが七面鳥取り分けている…そんな微笑ましい家族団らんも、車があれば貴方の家にもというのだ。
ポスターは1920年頃とあるから、車はT型センタードアセダン。当時主力は4ドア幌のツーリングだった。20年はWWⅠ勝利後の好景気とあって、年間94.5万台も売れて,その効果でコストダウンの結果、二回も値下げした年だった。
標準型が1909年850ドルだったのが、20年には525ドルに。25年には、実に290ドルにまで下がるのである。

1927年型ビュイック・マスターSIXセダン。

さて二枚目はGMのビュイックだが、こいつは珍しい。広告主がミュンヘンのバイエルン自動車会社とあるから、ドイツ輸入元のものと思われるからだ。
このラジェーターグリルは1925年から31年までのものだが、シックスライト窓の三枚目が25&26年は丸でポスターのは角。そしてウッドスポーク、ヘッドライト、マスコットの形から推定すると1927年型マスターSIXセダンと思われる。
となるとエンジンは直六OHV・4384cc・75馬力ということになる。27年型は全量で24万1401台生産とあるから、高級車なのに人気者だったことが判る。

1960年頃のハーレイダビッドソンのポスター。

三枚目は米国製大型二輪ハーレイダビッドソン。創立1905年という老舗だが、53年にライバルだったインディアンの生産中止で、輸入車相手の戦いが始まるが、軽快な英国車に続き、信頼性が高い日本車が入り始めると、戦術転換で生き残りを図った。
伝統的な姿を売りにノスタルジック戦法に出たのだ。この戦法は成功して、今や世界中にハーレイファンが増殖中である。
ポスターは一見古いが、そんなことを念頭に調べたら、推定1960年頃らしい。絵が不鮮明だから年代推定は難しいが、一例として1960年のFLH Duo Glideの諸元を紹介しておく。V型二気筒OHV・1213cc・55馬力/7200回転・4MT・車重304kg・最高速度160㎞。

ちなみに日本では陸軍の肝煎りで三共製薬がハーレイとライセンス契約を結び、1931年/昭和6年に日本HD社設立。塩原三共製薬社長の女婿永井信二重役渡米→33年三共製薬敷地内に品川工場建設→35年国産ハーレイ一号車完成→36年社名を三共に変更、車名は陸王に→37年、陸王内燃機工業(株)と変更して、名実共に日本の会社、日本製二輪自動車となる。そして大量に作られたのが、1200ccの97式軍用自動二輪で大部分が側車付きだった。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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