1995年とインディアナポリスとムスタング

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今どきムスタングと云えば「オジンだから仕方ないか」と嘲笑されるだろうが、昭和一桁生まれにとっては、マスタングではなくムスタングで正解なのである。(フォード日本がマスタング表記をする前はムスタングが通称)

太平洋戦争初戦、陸軍一式戦闘機隼、特に海軍零式戦闘機=ゼロ戦のあまりの強さに、米軍は一騎打ち格闘戦の禁止令が出て、ゼロ戦一機に米戦闘機三機以上なら戦っても良いが、格闘戦=ともえ戦に持ち込まれてはならぬ、という達しだった。
やがてアリューシャン列島に不時着したゼロ戦を回収。細部調査→空中戦をやり、対抗出来る戦闘機を開発、その中の一機がノースアメリカンP51ムスタングだった…で、当時の日本人には憎っくき敵機、不愉快な名前として記憶しているのだ。

さて前置きはさておき、ムスタングの初代誕生は1964年。WWⅡ後に誕生したというベビーブーマー世代目当ての廉価車だったが、世紀のベストセラーフォードT型以来のヒット作となった。
もっとも、開発ターゲットは若者だったが、スポーティーな姿+高性能+低価格+多彩なオプション装備品+巧みな宣伝効果の相乗効果で、空前のヒットを飛ばしたのである。

初代ムスタング1964年:ホワイトリボンタイヤ・革張りルーフなどオプション一杯・V8搭載車/全長4613x全幅1732x全高1298㎜・FR・車重1160kg・直六:OHV・2.8ℓ・102馬力/V8:OHV・166馬力・3MT/3AT。

が、その開発で陣頭指揮を執ったアイアコッカ社長は、クビになる。社主フォード二世の「君が嫌いだから」がクビの理由だったそうだ。で、アイアコッカはライバルのクライスラー社長に就任。

ムスタングは、初代からスポーティーなツードアに固執している。その代々続く人気にあやかろうと、シボレー・カマロやダッジ・チャージャー、ポンティアック・ファイヤーバードなどが誕生するが、ムスタング人気を破ることはなかった。

1995年、私はインディアナポリスに居た。目的はインディー500の観戦だが、そこで出会ったのが大量のムスタングだった。
聞くところによれば、毎年インディー500では、その年の人気車種がオフィシャルカーに選ばれのだという。もちろん選出には人気と共にメーカーの力関係もあるようだが。

ムスタングは日本でも人気が高く、かっこう良く走る姿に若者は憧れた。後に渋い俳優として活躍するが{シックスティーントンズ}で一世風靡ウエスタン歌手・小坂一也が乗っていたのを羨ましく眺めていた記憶がある。

ムスタングはフォード初の小型車ファルコンをベースに開発され、誕生時はハードトップとコンバーチブルだったが、後にファストバックが追加された。その影響を受けたのか、トヨタの初代セリカのファストバッククーペは姿がそっくりだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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