自動車業界で同一名なら記録は多々あるが、基本形式を変えないでということになれば、記録保持車は少なくなる。で、頭に浮かぶT型フォード1500万台、フォルクスワーゲン初代ビートルの2150万台は、世界の偉業と云っても過言ではないだろう。
が、この世紀の偉業を上回る車があるのを御存知だろうか。
ホンダのスーパ―カブ:2019年/平成31年/令和元年、その生産累計は実に一億台に達して、更に記録更新中なのである。
さて、自転車補助エンジンにライバルが登場し、カブが右肩下がりに。その頃ラビットやシルバーピジョン等のスクーターが人気だった。が、カブの後継モデルはスーパーカブで、登場は1958年/昭和33年…すでに戦後13年、日本経済も立ち直り、五輪に備え国立競技場完成、こだま号が走り出し、電気釜ブーム、フラフープ流行、東京タワーが完成した年だった。
さてスーパーカブ開発のコンセプトは、本田宗一郎の「蕎屋が片手で運転できる」藤沢専務の「女でも乗りやすい」だった。
で完成した試作車を見た藤沢の「三万台売れる」に社員は「一年で3万台も」と喜ぶと、藤沢は「いや一ヶ月だ」…その夢のような予測は現実になり、ホンダの稼ぎ頭となるのだった。
{ソバも元気だオッカサン}のCMが流れると、全国四千軒の蕎屋が購入。また当時としては常識破りの女性誌にも広告を出したら、藤沢の目論見通り女性ユーザーが増え、一気に国民車的存在となったのである。
当時の日本二輪車市場は年間二万台程度だったが、初年度2.4万台、翌59年度16万台と急伸。自信を得て月産3万台体勢の鈴鹿工場建設に踏み切った。世間は過剰投資とホンダの将来を危ぶんだが、60年度の出荷量が56余万台で見事に目標クリア。
この頃のホンダは柔らか頭でアイディア続出。出前用、新聞配達用、郵便配達用などヒット作続々。また海外輸出も力を入れ始め、最初のターゲットは最も難しかろうと考えた米国市場攻略…が、これもクリアし、二輪の本場欧州へ進出する。
ベルギーに工場を建設、アジア進出はタイ工場建設に始まり、各国に進出、21世紀には中国と、世界中をスーパーカブだらけにした結果が累計一億台到達という大記録、金字塔達成に結びついたのだ。ちなみに、最近ブランド名やペット名無し・形状だけの登録が可能になり、乗物の立体商標登録認可というのを取得している。
先進国、途上国、男、女、仕事、遊び、悪路に耐え、頑丈、低維持費、好燃費、良いとこ取りのスーパーカブは、姿を変えずに、やがて二億台も越えるのではと楽しみ一杯である。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。