ルマン24時間レースは耐久試験が目的だった。

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19世紀末産声を上げた、1馬力にも満たない内燃機は、半世紀後には3500馬力にもなるのだが、自動車用のレーシングエンジンなどは、リッター当たり出力100馬力なんてものはとうの昔で、1968年登場のトヨタ7はターボ加給によるが5ℓで800馬力にも。

日本ですらこの有様、海外となれば、1979年ルマン24時間優勝車ポルシェ935は、4.1ℓで720馬力…24時間に4173・93km・平均速度173.9kphで走っている。
走った距離ということなら、’71年優勝のポルシェ917Kは5335㎞を平均222kphで走り抜けている。とにかく一周13㎞のサーキットを24時間ヒッチャキに走るのだから、ドライバーには二十日鼠の血が流れているのかも知れない。

ポルシェ917K/ゼッケン16/独ランゲンブルグ自動車博物館で。

そもそもルマン24時間レースというのは、そのむかし自動車がレース専用に発展していくのを面白くないと考えた連中が企画したもので、市販車の耐久力試験が目的だったのだ。

第一回は1923年/大正12年で、ヘッドランプの性能もかんがみ、夜が短い夏至が選ばれたのが今日に及んでいるのだ。で、優勝車は仏ジュナール・エ・ウオーカーと聞き慣れない5ℓ車で、24時間で2209.92粁を平均92kph、時代的には感心する速さである。

第二回の優勝車は、ベントレイ3ℓ。そして平均速度で100㎞の壁が破られたのは1926年、ロレイヌ3.5ℓが105kphで優勝。
そして1927年から30年迄はベントレイが勝ち続けた。そして24時間で走行距離3000㎞を初めて越えたのが1932年で、アルファロメオ8Cが3017㎞を走りきったのである。
ちなみに8Cは、表向き2.3ℓだが、ボアアップで2.65ℓに拡大、ルーツのスーパーチャージャーで100馬力/5400回転だった。

アルファロメオ8C/ムゼオアルファロメオ博物館蔵。

8Cはスーパーチャージャー加給とはいえ、わずか2.3ℓだったが、この頃からスーパーチャージャー全盛時に入るのである。
で、歴代優勝車も、ラゴンダ2.3ℓ、ブガッティ3.3ℓ、ドライエ3.6ℓと小型ながら皆スーパーチャージャーで髙出力を得ている。

さて、レースはWWⅡ突入で、1940年から48年迄中断するが、戦前最後39年の優勝車はブガッティT57Cで平均139kphで 3354.76㎞を走破している。
そして戦後初49年の勝者はフェラーリ166Mで3178.299㎞と、戦前を下回ったが、翌50年のタルボラーゴT26GSは3465.12㎞で戦前を越え、以後記録は伸び、53年には4000キロ越えに。

トヨタ7/トヨタ博物館蔵:7には三世代あるが最終型は5ℓツインターボ800馬力。が、チームリーダーの細谷四方洋は「1000馬力はあった」と云っていた。最高速度363kph。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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