【車屋四六】また映画の話し“フォードA型1931”

コラム・特集 車屋四六

前回に続いて、東京モーターショーから映画の車。今回は山中湖高村美術館出品の1931年型フォードAロードスター。稀代の銀行強盗“ボニー&クライド”が映画で走り回っていたのと同型である。

諸元は、全長3850㎜、全幅1710㎜、全高1560㎜。直列四気筒サイドバルブ3286cc40馬力。ちなみに31年型の総生産台数は55万5135台(スタンダード$430~デラックス$475)、うち7793台がロードスター。

31年というと日本は昭和6年。田中絹代主演“マダムと女房”松竹が日本初のトーキー映画上映の年。また、ゲイリークーパーとマレーネデイートリッヒ主演の“モロッコ”が、日本初の字幕スーパーで上映された年でもある。
ということは、弁士活躍の無声映画からトーキー映画に変わる節目の年だったということになる。

そもそもA型は、世界一の生産量を誇るT型が、GMシボレーに追い上げられて、仕方なく開発した作品だが、Hフォードは1927年切り替えを決意するや、84万台を生産した5月で生産中止。それからA型開発に着手、6ヶ月後に登場だから、驚異的早さだ。

が、技術屋としてのH.フォードは天才でも、経営者としては愚か。6ヶ月間生産ゼロの結果は、ライバルのシボレーが年間100万台達成で、念願の全米一位の栄冠を手にしてしまったのである。

でもフォードの実力は世界一で、A型生産が軌道に乗ると、29年には年間133万台のシボレーを上回る、195万台を生産して、簡単に王座を取り戻したのである

フォードA型クーペ。ドアにグッドリッチの文字があるので宣伝カーと思われる

さて映画“ボニー&クライド”は題名“俺たちに明日はない”で日本公開。A型フォードに乗る二人が、待伏せ警官隊の一斉射撃で87発の銃弾を食って死んだのが34年だった。

主演&製作ウオーレン・ビーティー。女優フェイ・ダナウエイが一躍スターになる出世作でもあった。共演ジーン・ハックマン。
この映画は、アカデミー撮影賞、アカデミー助演女優賞も受賞、作品としても一流だった。

物語は、懸命に働く若者の財産を銀行が差し押さえたことで始まる。非情な銀行の仕打ちに腹を立てた主人公が、テキサスのダラス中心に愛人とアベックで、銀行強盗を連発したのである。

そのころアメリカは大不況時代で、不満だらけの大衆は若者夫婦を応援、喝采を送ったそうだ。そして「おたくの車は力強くて頼りになる」と郵便でフォード社に礼状というエピソードも残っている。

28年型A型。WWⅡ前のハリウッドで大スターのメリーピックフォードとダグラスフェアバンクスということは、フォードは映画にしばしば登場していたのだろう

大衆の英雄が人生の幕を閉じた34年は、わたしが生まれた翌年の昭和9年。お笑い演劇と唄では第一人者の榎本健一のエノケン一座が映画に初出演。監督山本嘉次郎“エノケンの青春酔虎伝”でレビュー・シネ・オペレッタと名付けた斬新スタイルの映画だった。

一方34年に流行った歌は、ディック峯のダイナ。ドイツ映画から♪マドロスの恋♪モンテカルロの一夜/狂乱のモンテカルロ、♪命かけてただ一度/会議は踊る、からの主題歌は、今でもビヤホールなどで酔った年寄りが唄っている。