現在ダイムラーベンツ社のフラグシップカーとなればマイバッハだが、メルセデスベンツならSクラスということになる。
いずれにしても、V型12気筒で走る姿は「俺は王者」という風格の持ち主だが、日本の道路では大きすぎの感が無くもない。
が、そんなことでビックリしてはいけない。その昔、もっとでかい奴がカタログに載っていたのだ。
その巨大さを誇示する名前は“グロッサーメルセデス”で、シリーズ名としては“600”を名乗っていた。
(グロッサーの名は国家元首公用車向けとして30年に登場)
グロッサー(巨大)600のサイズは、全高1510㎜、全幅1950㎜と巨大から連想できるほどではないが、問題は全長。
リムジンの長さは5540㎜だが、それで感心は未だ早い。更に長いプルマンでは、実に6240㎜もあったのである。(写真上:長大なエイトライト型600プルマン。後席は対座型)
二種類の600を横から比較すると、シックスライトウインドーがリムジンで、エイトライト・ウインドーがプルマンで、登場は1963年のフランクフルト自動車ショーである。
WWⅡ前、世界の王侯貴族元首御用達の大型乗用車を得意としたベンツは、戦後が一段落すると “300”と呼ぶ大型高級車を50年に発売したが、それはベンツにとり、世界トップ御用達と云うには少々物足りない気がしなくもなかったようだ。
300登場から13年、これぞ「天下のベンツ」と満を持して登場したのが600。巨大な600はショーでも圧巻だったと聞く。
リムジンはホイールベースが3200㎜、プルマンに至っては3900㎜という長さに、観客が注目したという。
シックスライト四ドアリムジンはバージョンAと呼び、主にセダン中心だが、中仕切りの付いたリムジン仕様もある。
プルマンの方は、四ドア型のバージョンBは三列シートの後席が対座型。バージョンCは三列が前向きで、ドアが6枚もある。
更に、後席上部が幌で開閉する古典的ランドレーをバージョンDと名付けていた。
そんな解説をすると、バリエーション豊富な600は沢山売れたように思うが、75年の生産終了までに売れたのは、リムジン2900台、プルマンが409台ということだった。
ちなみにリムジンの車重は2470kg、プルマンが2640kg。
そんな巨体を、当時ポルシェでも追いつけない200km/hという高速で走らせるエンジンは、WWⅡ以後ヨーロッパでは最大のV型八気筒で、ボアストロークが103㎜×96㎜、6332cc、高い圧縮比で250馬力、51kg-mという強力なトルクの持ち主だった。
前輪Wウイッシュボーンは常識的だが、後輪はベンツ得意のデフ固定のスイングアクスルで高い操安性を生み出し、快適な乗り心地のエアサスペンションは、50㎜のハイトコントロールが可能だった。
600誕生の63年は昭和38年。東京オリンピック開催を直前に完成した東海道新幹線が、世界最速夢の256km/hに到達。ブルーバード410、ホンダS500,ベレット1500、スカイライン1500などが登場、日本の乗用車造りが、世界レベルの追いついた頃だった。