【車屋四六】ティーザーキャンペーンの元祖
“三度目の正直”という諺があるが、今回はダ洒落で”三代目の正直”という話である。 昭和20~30年代の頃、乗用車市場でのナンバーワンは日産。それが目の上のタンコブだったのが […]
続きを読む“三度目の正直”という諺があるが、今回はダ洒落で”三代目の正直”という話である。 昭和20~30年代の頃、乗用車市場でのナンバーワンは日産。それが目の上のタンコブだったのが […]
続きを読む古い車に詳しい人でも「いすゞ117セダン」というと首をかしげるかもしれない。美しい姿、ファンを魅了した絶世の美女117クーペと混同するからだろう。 美しい117クーペが誕生した時の名前は”ギア117スポーツ& […]
続きを読むWWII後に発売したボルボPシリーズは、戦前設計のダルマ風スタイリングのフォードにそっくり。50年代は、そんなダサイ姿のボルボがアメリカで人気者。VWビートルに次ぐ輸入量を誇った。 人気の元は、独特な姿ではなく、10万マ […]
続きを読む20世紀初頭は金満家御用達の乗用車も、量産技術が確立すると一般庶民も買えるようになり、そんな車を大衆車と呼ぶ。大衆車は世界各国、どこの自動車生産国にも存在する。 かつて世界最大の自動車王国だったアメリカの大衆車時代は、T […]
続きを読む一枚の写真を紹介しよう。霧にかすんだ背景から察すると、たぶん箱根芦ノ湖ではないかと推測される。 どんな目的で撮られたものか判らないが、左からコロナ、ルノー、ヒルマン、スカイライン、オースチン、当時国産の最新鋭乗用車がズラ […]
続きを読む1991年6月23日、朝起きて「さてどうなった」とTVのスイッチを入れたら驚いた。こいつは夢かと思ったり、今日は4月1日でもないし。とにかくルマン24時間レースで、マツダのロータリーエンジン車がトップを走っていた。結果は […]
続きを読むスチュードベイカーという会社はもう無い。名門高級車パッカードと54年に合併したが、世の荒波を乗り越えられずに、64年に消えていった。 スチュードベイカー社は1902年の創業だから老舗中の老舗である。が、馬車屋だった時代を […]
続きを読むいわゆるライトウエイト・スポーツカーの本場は、WWII以前からのイギリスだろうが、それに各国ヨーロッパ勢が加わり発展、戦後は裕福なアメリカ市場で大活躍して、ドルを稼いでいた。 そんな熟成した市場に、こともあろうに後進国日 […]
続きを読むWWII終戦後にヨーロッパに多生した軽自動車も、やがて世の中が落ち着くにつれて淘汰の波に飲み込まれて消えていった。が、日本の軽自動車だけが生き残り、確固たる市場を形成、発展を続けたことを何度も紹介してきた。 日本の軽自動 […]
続きを読む広島のマツダは老舗で、東洋工業と呼んでいた。初めはコルクや削岩機を作っていたが、WWII以前に始めた三輪貨物自動車で自動車メーカーの仲間入りをした。 このオート三輪業界では一流で、特に戦後の混乱期の昭和20年代には流通業 […]
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