【車屋四六】ダイハツ生誕100年-①
百数十社もあると云われる中国ほどではないが、かつて日本にも数多くあった自動車会社が時と共に淘汰が進み、今では両手の指で勘定できるほどになった。それは先進欧米でも同じで、発展途上中に起きる当たり前の現象である。 ダイハツは […]
続きを読む百数十社もあると云われる中国ほどではないが、かつて日本にも数多くあった自動車会社が時と共に淘汰が進み、今では両手の指で勘定できるほどになった。それは先進欧米でも同じで、発展途上中に起きる当たり前の現象である。 ダイハツは […]
続きを読む流れ作業方式のラウプフロッシュは、ロングWBの四座席型も加えて好調に売上げを伸ばしていった。1924年、コピーとシトロエンからの告訴は「黄と緑だれが見ても混同することはない」の判決で一段落という話しは前回報告の通り。(ト […]
続きを読むWWⅠのドイツ敗戦で、兵器産業から自動車産業へ、ゼロからの再出発は常識通りで、戦前型の復刻で再スタートを図るのは、他の自動車メーカーと同様だった。 戦前オペルを欧州最大メーカーに育てたのは五人の息子達だが、戦後の再建は戦 […]
続きを読むさて創業者Aオペルは、優れた技術者であると同時に、経営も商才も優れた人物だった。ミシンでは蒸気エンジンで稼働する最新工場で量産体制を敷き、欧州ナンバーワンを確立する。 次の自転車では、それまでの自転車の画期的改良で、誰で […]
続きを読むオペルはドイツ車で、今ではGM資本だと誰でも知っているが、19世紀創業時のミシンは欧州ナンバーワンになり、次の自転車でも欧州ナンバーワン。そして1899年に自動車製造を開始する。 やがて自動車でもナンバーワンになるが、W […]
続きを読む2006年、三菱からトライトンWキャブ型ピックアップが登場した。RVブームでピックアップが忘れられていた時期だったので、予想外の人気者になった。 忘れられていたピックアップ・トラックは、80年代に流行った時期があった。米 […]
続きを読む世界ではFWD、日本ではFFと呼ぶ最初の量産車は、55年登場のスズキフロンテ。以後スバル1000、シビックなど小型車のFF化が進むなか、何故か二大メーカーのトヨタ日産はFRばかりだった。 1978年トヨタが、ようやく重い […]
続きを読む背景に自衛艦ということで横須賀辺りだが、カメラマンの服装から83年の寒い頃だと思う。もう一人は島崎七生人。(トップ写真:自衛艦バックのVWシロッコGTI:左側島崎七生人)。今では独立してベテラン評論家だが、当時はカービー […]
続きを読む1950年代{公務員の車}と呼ばれたダサイ姿のアウディが、地道な道を歩んで、高品質・高性能のイメージを世界に認知させたのが、82年登場したアウディ100(トップ写真)の三代目だったと思う。 先ず世界の注目を浴びたのが空気 […]
続きを読むその昔、スーパーカーブームというのが日本にあった。 70年代の中頃だったろう、スーパーカーがあれば、日本中の子供達が親にせがんで遠方まで出掛けたものである。 フェラーリ、ランボルギーニ、ロータス、ランチャ、マセラティ、デ […]
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