一億台スーパーカブ世界記録樹立更新中
自動車業界で同一名なら記録は多々あるが、基本形式を変えないでということになれば、記録保持車は少なくなる。で、頭に浮かぶT型フォード1500万台、フォルクスワーゲン初代ビートルの2150万台は、世界の偉業と云っても過言では […]
続きを読む自動車業界で同一名なら記録は多々あるが、基本形式を変えないでということになれば、記録保持車は少なくなる。で、頭に浮かぶT型フォード1500万台、フォルクスワーゲン初代ビートルの2150万台は、世界の偉業と云っても過言では […]
続きを読むいまや芝刈機からジェット機まで、広範囲に活躍するグローバル企業ホンダの出発は湯タンポからだった。豊田や鈴木は母が楽にと織機を開発したが、本田宗一郎は買物で妻が重そうに漕ぐ自転車を楽にとエンジンを付けたのが始まりである。 […]
続きを読むそもそもエアコンとは、自動温度調整機能付空調機を指すが、そんなものの普及は1970年代に入ってからのことで、乗用車用では先ず暖房が登場し、次に冷房というように、別々に生まれ、個別に発達したあとドッキングしたものだった。 […]
続きを読む国際レース優勝は国威高揚に繋がると考えたヒトラーは、贔屓のベンツに加え対抗馬が必要と、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの四社合併でアウトウニオンを誕生させた。 次にヒトラーが競争車開発に選んだのは、やはり贔屓のポル […]
続きを読む今どき乗用車でラジオや時計がない車なんて珍しいが、昭和30年代ラジオや時計はステイタスな装備品だった。昭和31年、8万円で買った私初の自家用車1942年型シボレーはボロボロながらも、時計もラジオも装備、誇らしげに立つアン […]
続きを読む6気筒6C-1750でイタリア国内のレースに勝ちまくったアルファロメオのヤーノは、今度は、ルマンやツーリストトロフィーなど著名な国外レース制覇という野望を実行に移した。 で、1930年、新しい8気筒のスポーツカー開発に着 […]
続きを読むレースファンなら誰でも好きなドライバーがいるだろう…私はファン・マヌエル・ファンジオだ。中学・高校生だった敗戦後の昭和20年代、レースに関しては鎖国状態の日本で、たまに手に入った雑誌でファンジオという名手の存在を知ったの […]
続きを読むフィアットから移籍したビットリオ・ヤーノは、アルファロメオの黄金期を生みだす立役者となる。GPで無敵を誇り、モンツァやミッレミリアを制覇するばかりでなく、スポーツカーや高性能ツーリングカーなどと、活躍はオールマイティーに […]
続きを読むレースに勝って、知名度あげよう目的のニコラ・ロメオの野望により、軽量化された二座席24HPの初戦は、リードを続けるドライバーの目に泥水で視界を失い、やむなくリタイアは前回報告したが、その後24HPは逐次磨き上げられながら […]
続きを読む外国の史料だが、1953年迄の20世紀中で、グランプリ最多勝利メーカーはアルファロメオだそうだ。誰もがと思うベンツ34回、ブガッティ33回に対しアルファは実に58回だった。WWⅡ以前、アルファは無敵を誇った時代があったの […]
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