【車屋四六】WWⅡ戦後初のドイツ高級車ベンツ300
ヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。 あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的 […]
続きを読むヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。 あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的 […]
続きを読む乗用車開発で避けて通れない課題が空力…いわゆるCd値というやつ。Cd=0.3前後で胸を張ったのは20世紀中、現在では0.2の領域で争っている。ちなみにジャンボジェットは0.1だ。 空力重視の最先端は飛行機だが、乗用車と共 […]
続きを読む僅か150㎞、隣町とも云える所で、なんの面識もないダイムラーとベンツが、ほぼ同時に自動車開発に成功して宿敵同士となり、町→州→ドイツ→欧州へと、熾烈な戦いの場を拡げていった。 先ず1896年、ベンツは水平対向二気筒を完成 […]
続きを読むダイムラーの二輪車が走った半年後にベンツの三輪車も走る。 「史上初は」と聞かれたら「ダイムラーとベンツ」と答えたい。お互い知らずに150㎞ほど離れた町で努力していたのだから。(トップ写真はベンツ開発の4サイクル電気点火高 […]
続きを読む19世紀は蒸気機関の世紀、20世紀は内燃機関の世紀と云える。その内燃機関は、ダイムラーとベンツが、お互い何も知らずに、わずか150㎞しか離れていない町で開発に没頭していたのだ。どちらが先?と云えば、僅かだがダイムラー、エ […]
続きを読む日本ではベンツだが、正確にはメルセデスベンツ。1926年ベンツとダイムラー合併で誕生したダイムラー社の乗用車の標章である…が、遡れば旧ダイムラー社の標章だったのだ。 が、そもそもの始まりは、オーストリアの銀行家イエリネッ […]
続きを読む{大きいことは良いことだ}…東洋一高い霞ヶ関ビル完成の68年、森永チョコレートの山本直純作曲のCMソングだが、人間には本来大きいことが最上という意識があるようだ。 自動車にも同じことが云えるだろう。天皇家のロールスロイス […]
続きを読む1989年フランクフルト自動車ショーで2台のロードスターに注目が。ポルシェカレラ・スピードスターとBMW・Z1。 89年=昭和64年は、昭和がたった7日間、1月7日から平成になった。87才で昭和天皇崩御が原因だが、民間で […]
続きを読む戦後70年も経てば{木炭車}と云われても困る人ばかりだろう。 「炭で走る蒸気自動車ですか」と聞く若者がいたが、蒸気は外燃機関で、木炭車はガソリンと同じ内燃機関である。 古い知識人で、木炭車は日本が生んだ傑作的発明いう人も […]
続きを読む近頃、良い商品も知名度がないと買ってくれないことがある。 そこで登場するのが宣伝広告。その最たるものが酒と化粧品だろうが、自動車もかなりなものである。 宣伝には、俳優、歌手、アスリート、時には女子アナなども登場するが、単 […]
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