乗用車開発で避けて通れない課題が空力…いわゆるCd値というやつ。Cd=0.3前後で胸を張ったのは20世紀中、現在では0.2の領域で争っている。ちなみにジャンボジェットは0.1だ。
空力重視の最先端は飛行機だが、乗用車と共に空力改善で最高速度が上がり、燃費が向上する。その極致は競争自動車で、F1やルマン用などは戦闘機レベルで追求されている。
1978年、マツダの初代サバンナRX-7は格納式前照灯が格好良かったが、流行を追ったものではなかった。開発目標200㎞に到達できず、引っ込めてCd値を向上、目標を達成したのである。
この空力低減技術を飛躍的に向上させたのがWWⅠ。支柱と張り線とベニヤと羽布張り飛行機の年々角が取れて、最後に登場したユンカースは、遂に支柱張り線が消えた単葉金属機だった。
いつの世も兵器で発展の技術は直ぐに乗用車に応用される。

WWⅠ前の空力考慮は競争自動車の世界だけだが、それは経験的なもので、理論づけられたのはWWⅠ以後の飛行機造りからで、空中戦で進歩した技術が理論づけられ、車発展に貢献したのだ。
競争自動車はともかく、1926年にダイムラーとベンツ合併で誕生したダイムラーベンツは、乗用車開発に積極的に空力技術を取り入れ始めた。
具体的には、27年誕生のスポーティーなロードスター{S}シリーズからだろう。この古典的ロードスターは、ポルシェの傑作の一つと云われ、その後SS、SSKへと発展する土台となる。
合併後のダイムラーベンツは、乗用車のブランド名を{メルセデス}に統一、スポーティー系をSシリーズ、高級乗用車系をKシリーズとして、その両輪で進撃を開始するのである。
35年、そんなKシリーズに500Kアウトバーンクリエールを名乗る試作車が登場する。2.5トンの巨体に、新開発5ℓ(100/160馬力)で最高速度160㎞という高性能乗用車だった。
{アウトバーン高速便}と名乗るように、ヒトラーが建設を始めたアウトバーンを高速移動する超高級試作乗用車だった。
そんな流れを汲む一台が誕生する。バンコク自動車ショーで出会った、メルセデスベンツ320ストリームライナー(写真トップ)である。
3405cc78馬力、車重1900kgの巨体を126km/hで巡航可能。
細いステップ、前開きドア、流れるような流線型、何処も試作車クリエールと同じ姿をしているが、排気量が減ったエンジンと、テイルにフィンが付いたところが違っている。
この小さなフィンは、高速走行時に後部に発生する空気の渦を整流して、空気抵抗を減らし、縦方向の安定化、特に横風突風などに効果を発揮したようだ。
320が誕生した1939年は、ドイツ軍がポーランドに侵攻してWWⅡに突入という年だから、この車が発展することはなかった。
