悲劇のマハラジャとダイムラー
モノクロ写真は無塗装飛行機のようなジュラルミン肌ではない。カラーでないのが残念だが、ボディーを洋銀で仕上げた特注品である。オーナーは、英領印度REWA国で1922年に王位を継いだ、第34代マハラジャのグラブ・シンである。 […]
続きを読むモノクロ写真は無塗装飛行機のようなジュラルミン肌ではない。カラーでないのが残念だが、ボディーを洋銀で仕上げた特注品である。オーナーは、英領印度REWA国で1922年に王位を継いだ、第34代マハラジャのグラブ・シンである。 […]
続きを読む答えは1910年創業のデューセンバーグと答えるだろう。高級+高性能で、24/25/27年とインディー500に優勝。21年ルマン24時間にも優勝という輝かしい経歴は、GPで活躍したフランスの名車ブガッティにも似た経歴の持ち […]
続きを読むプロのスポーツ選手は車好きが多い。現在は多種多様だが、昔日本ではまだ知名度が低いアストンマーチンV8バンテージに、野球の大選手大監督の落合博満が乗っているのを見たことがある。 さすが大物、目が高いと思ったら動機は単純で「 […]
続きを読むかつてトヨタは生産量世界一になるのを避けていたが、GMの破綻で自然発生的に世界一の座を得ると、予測通り米国のバッシングが始まる。議会公聴会や報道、また公衆面前で日本車をトンカチで壊し「トヨタ車下取りで○○ドル進呈」など露 […]
続きを読む私昭和8年生まれの子供時代、恐いものの例えに「地震カミナリ火事オヤジ」…また青年時代には「一ヒメ二トラ三ダンプ」「神風タクシー」なんて云うものがあった。 昭和30年代後半、車が増えて怖いものは、女の運転(一ヒメ)、酔っ払 […]
続きを読むヤナセは大正4年/1915年、梁瀬長太郎が創業し、WWⅡ後に梁瀬次郎が輸入車業界のドンに仕上げた。その偉大な経営者が逝ったヤナセは、多くの輸入権を失い普通の輸入車販売店になったが、全国的販売網、長年育てた上流顧客は健在で […]
続きを読むデュオ・ダイナ・エア・クーリングシステム=DDACなど云っても判る人は少なかろう。本田宗一郎が開発した画期的高性能エンジンだった。 この頃のホンダは、二輪では既に世界の一流で、次なる目標は四輪市場進出だった。その先駆けが […]
続きを読む警察庁によれば、2019年1年間で75歳以上の運転者が起こした、過失が最重の第一当事者となった交通事故は401件(前年同期比59件減)だった。免許保有者10万人当たりでも6・9件と前年の8・2件から減少を見せたが、75未 […]
続きを読むBC戦争って知ってますか…後の世までの語り草、ブルーバードとコロナのシーソーゲームだった。が、開発を始めた初代コロナの仮想敵はブルではなかった。そのころの日本小型市場は、戦前からのブランド「ダットサン」が我が物顔に君臨し […]
続きを読むスポーティなプレミアムカーと認知されているアウディの地位を確立したのは、乗用車と四駆をドッキングさせたクワトロと云って過言ではない。(クワトロとは伊語で「4」のこと) もちろんクワトロの前にも乗用四駆は既に存在する…スバ […]
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