BC戦争って知ってますか…後の世までの語り草、ブルーバードとコロナのシーソーゲームだった。が、開発を始めた初代コロナの仮想敵はブルではなかった。そのころの日本小型市場は、戦前からのブランド「ダットサン」が我が物顔に君臨していた。
で、コロナの目標は「打倒ダットサン」だったが、その完成を待っていたのでは、ダットサンがますますはびこってしまう。が、スパコンなどなく、竹製計算尺と歯車型計算機では急いだところでたかがしれている。で、生まれた苦肉の策がピンチヒッター策…トヨペットマスターの姿と部品頂戴で短期完成という手段だった。
初代クラウン開発時、タクシーの悪条件使用を懸念し、耐久力には自信のある旧態依然メカで「マスター」を並行開発した。
が、蓋を開けてみれば、新メカ満載のクラウンが営業使用に耐えることが判り、マスターを廃モデルにした経緯があった。
そのマスターのシャシーを切り詰め、ドア四枚を流用、基本構造をそのままに急遽完成したのが、コロナST10型だった。
初代の登場は1957年/昭和32年だが、既に企画されていた本来の初代は二代目に回されて、RT20型として発表は先送りされた。
いずれにしても、ピンチヒッターの初代コロナは、直線基調のダットサンに対して、マスターから引き継いだ丸い姿の曲線基調が対比的だった。
全長3912×全幅1470×全高1518㎜・WB2400㎜・車重960kg。さすがにマスター用1.5Lでは過剰なので、直四995cc・33馬力が搭載された。サスは前Wウイッシュボーン/後リーフリジッド・四輪ドラムブレーキ・タイヤ560-16というスペックだった。
急造ではあったが、取りあえず押さえる所は押さえたとみえ、仮想敵ダットサンの性能を少しずつ上回っていたのだが、初代コロナには悲しい運命が待ち受けていた。
既に小型市場の営業車部門はダットサンに完全制覇され、さらに僅かに残る自家用車部門も、戦前から売り込まれたダットサンのブランド力には勝てなかったのである。
さて、本来初代になるはずだった二代目RT20型の登場は60年だが、それにも悲劇が待ち受けていた。執念を燃やした打倒ダットサンは既に市場から消え去り、新鋭ブルーバードが待ち構えていた…後世名車の誉れ高いブルーバードに、一世代前のコロナが勝てるはずもなく、結果は火を見るより明らかだった。
悲運な初代コロナも、可愛い丸い姿からダルマの愛称が生まれたが、ダットサンに負けても「七転び八起き」と、ダルマになったというマユツバ的説もある。
ちなみにコロナのネーミング由来だが、当初トヨタはカーディナルという名を用意したが、フォードで登録済みと判り、コロナになったと聞いた。その後トヨタのネーミングは、暫くの間Cが頭のネーミングが続く…クラウン・コロナ・カローラ・センチュリー・セリカ・カリーナ・カムリ・チェイサー・クレスタ等々。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。