戦前戦後の車の変遷6
敗戦後禁止されていた乗用車生産は1947年、ダットサン、たま電気自動車、トヨペットSAで再スタートを切ったわけだが、翌48年になると、老舗の高速機関工業からオオタ号が復活する。 また51年には、三菱がカイザーフレイザー社 […]
続きを読む敗戦後禁止されていた乗用車生産は1947年、ダットサン、たま電気自動車、トヨペットSAで再スタートを切ったわけだが、翌48年になると、老舗の高速機関工業からオオタ号が復活する。 また51年には、三菱がカイザーフレイザー社 […]
続きを読む太平洋戦争には負けたが、戦後50年間の日本自動車産業の発展には目を見張るものがあるのは御承知の通りだ。 政治家を筆頭に役人や経営者の「追いつけ追い越せ」を旗印に、遮二無二に働いた勤労者、親方に忠誠を誓う下請け集団等々、誰 […]
続きを読む日本陸軍の先見の明、ジープより先に完成した{くろがね四起}に味を占めた陸軍は、次に軽自動四輪起動車を企画したのは、日本の国力、自動車生産能力に不安があったのかもしれない。 1938年/昭和13年、日本内燃機、陸王内燃機、 […]
続きを読むジープと云えば、四輪駆動車/4WDの元祖と思われているが、そうではない。ジープは4WDの代名詞的存在ではあるが、実は米国陸軍が慌てて作った兵器だったのだ。 1939年/昭和14年、ポーランドを急襲したドイツ軍機甲師団の電 […]
続きを読む令和、平成、昭和と遡り、大正を知る人は少なくなった。その大正は1912年から始まった。で、大正時代に入ると、続々と国産自動車が誕生するが、量産販売に成功する車は少なかった。 ちなみに年代順に、車名/製作所(者)を並べてみ […]
続きを読む「日本で初めて走った自動車は?」「日本で初めて作られた自動車は?」は、仕事柄よく問われる質問である。これには諸説あるが、現存する写真で最も古いのはフランス人画家ビゴーが持ち込み、1898年に築地で撮ったという、パナール・ […]
続きを読む「人の噂も75日」と云うが、日本人は忘れる事が特技のようだ。もっとも幕府が倒れた維新後、太平洋戦争前の良き習慣を忘れ「追いつけ追い越せ」と大発展を遂げたのだから、古い習慣を捨てるのは良いことなのかもしれない…時には官民癒 […]
続きを読むバブルが弾け、リーマンショック、東日本大震災と三度の危難に襲われた日本で、自動車メーカーや輸入車ディーラーもとばっちりを受けたが、ローバージャパンは比較的元気だった。 それは日本市場に合わせた商品開発と投入、円高即応の値 […]
続きを読む世界中で自動車ショーが開催されると、現行モデルの他、クラシックカー、そして未来指向のコンセプトカーにも視線が集まる。 そんな視線を集める車を作る老舗の一つにギア社がある。 1956年7月、大西洋を米国に向かうアンドレドリ […]
続きを読むスチュードベイカーという会社はもうないが、1902年/明治35年創業という老舗で、前身の馬車メーカーなら更に遡り、1852年ということになる。 さてWWⅡ中は、兵器生産に専念は当然として、戦後世界のGDPの半分は米国と云 […]
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