携帯電話やスマホの普及で消える運命をたどったのがテレカ。
その後たくさん登場したプリペイドカードには、ETC登場前のハイウエイカードや、地下鉄や電車などのもあった。
そんなテレカの自動車を4万枚も集めた自動車評論家が居る。日本カーオブザイヤー選考委員やAJAJ=日本自動車評論家協会理事などを務めた、業界では知られた人物、松下宏は親友でもある。
前回紹介(公衆電話とテレフォンカードと懐かしいクルマ)の三枚のテレカも、彼のコレクションだった。
1951年群馬県前橋に生まれ。立命館大学卒→記者→自動車雑紙編集者→フリーランスで活躍した人物である。
桃園書房の後押しで、今は無き自動車月刊誌カービート創刊が1971年で、休刊になるまで記事を投稿したが、その副編集長が松下さんで、以来交流が続いている。
松下さんとは、国内取材はもとより、海外取材、最近では上海、北京自動車ショー、特にバンコク自動車ショーには毎年欠かさずに同行取材を続けている。
彼は映画にも精通、昨年は「一年間で265本見た」と云い、また食いしん坊でも知られている。が、テレカのコレクターということは薄々知ってはいたが、これほどまでとは知らなかった。
「どのくらい持ってるの」と聞いたら「多分4万枚は超えているでしょう」と云う。未使用のテレカを業者から買っているようだが、1枚200円見当とすれば、実に800万円、不治の病にかかることを指す昔の諺{やまいこうこう/病膏肓}というやつである。
彼は数年前に引っ越しをした。もちろん集めたテレカも一緒だが「この際と思って棚を特注しました」というが、その棚の代金が40万円だったという。で、その棚には名刺整理帳を利用したのか、色分けされてタイトルが付けられ、さすがコレクターという保存状態に、常日頃ずぼらな私は感心した。
私も食いしん坊では人後に落ちないので、食べ歩きが楽しみであり、近頃では車の記事に食レポも付けたら好評なので「食べることは取材である」と割り切り、年寄りには体に悪いと承知で食べ歩き、写真を撮りPCに溜め込んでいる。
そのコピーのCDをプレゼントしたら「金が掛かってしようがない」とこぼす…聞いてみれば片っ端から廻っているという。
200件を超える鰻屋、300件近い蕎屋、天麩羅屋、鮨屋、中華&韓国、洋食&エスニック等々、何処まで凝り性なのか、これから年寄りになる彼に悪いものを渡したと後悔をしている。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。