戦争前、いやWWⅡ後も、一般家庭に自家用車などと夢にも思う人は居なかった。自家用車などというものは、金持ちか偉い人の乗り物と思っていたし、まして敗戦で混乱した昭和20年代という時代ではなおさらだった。
戦後娯楽のトップは米国映画。それを見て、家庭に一台どころか二台、三台とあると知った頃に、日本でも乗用車造りが始まり、はたまた進駐軍からの中古車が出回るようになり、ひょっとすれば車が持てる、いや持ちたい、と思い始めたのが昭和30年代だった。
やがて昭和41年が来て、サニーとカローラの登場で、遂に庶民憧れのマイカー時代の幕が開いたのである。
「喉もと過ぎれば熱さを忘れ」という諺通り、戦前の身分相応という言葉を戦後失った日本人は、マイカーを持てた幸せに馴れると、数年後には車に贅沢を求め始めたのである。
で、打てば響くように登場したのが遊び心満載のセリカ…ビートルズが最後のLP=レットイットビーを出し、グループを解散した1970年だった。セリカ1600GT/89.5万円…大卒初任給4万円になろうという頃でも、少々高い買い物だった。
が、待望のスペシャリティーカーの評判は上々で、勢いにのり73年に追加したファストバックが、憧れのフォード・ムスタングに姿がそっくりで、その精悍な姿に惚れたファンが飛びついた。
77年、人気のセリカがフルモデルチェンジしたのは、ラジカセやカラオケの流行が始まり、TVではピンクレディーや、山口百恵が活躍していた頃である。
そんな新型セリカに、78年XX=ダブルXと呼ぶ、えらくゴージャスなリフトバックを追加した。5ナンバー2Lもあったが、注目は2600Gと名付けられた3ナンバーの高級バージョンで、Bピラーの黒光りするプラスチックが格好良かった。
白く長く流麗なシルエット、珍しいガラスサンルーフ、パワーステアリング、パワーブレーキ、エアコン、OD付4AT、四輪ディスクブレーキなど、全てが斬新でゴージャス感に溢れていた。
斬新なOHC・2563cc・4M-EU型は直列六気筒、燃料噴射型エンジンは140馬力と髙出力だが、値段も飛びきりで186.9万円。
成田空港開港、池袋サンシャイン完成、日本経済は上向きで、同年登場の新顔は、スターレット、ターセル、コルサ、パルサー、ミラージュ、フェアレディ、サバンナRX-7、プレリュード。
廉価大衆車が充実、遊び指向の上等高額車が両立する時代の到来だった。セリカXXのような遊び車は長寿名かと思っていたら、日本的習慣で、4年でフルモデルチェンジしたのが81年…ダイアナ妃とチャールズ皇太子のロイヤルウエディングの年だった。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。