変わり種がまかり通り、それを受け入れる、国民性なのかフランスは不思議な国である。車でも、下手をすれば会社の命取りにもなりかねない斬新を、不審がらずに買う人さえ居るのである。
今回は、そんな車の一台…社名はパナール、車名はディナパナール。
私の最初のパナールはタクシー…昭和30年前後に輸入され、車不足のタクシー業者が跳びついたが、日本の悪路での酷使で故障続出、特にサスペンションが悲鳴をあげて業界から消えていった。
そもそもパナールは、ダイムラー発動機の製造権を持つ未亡人と再婚したルバッソールとパナールが、ダイムラーやベンツより早く1891年に乗用車を発売した世界最古の自動車会社である
ちなみに1891年は明治24年、後のニコライ二世になるロシア皇太子が、尊皇攘夷の武士に切りつけられた大津事件の年だ。
二人の名を取ってパナールルバッソール車のマークはPL…当時主流は後部発動機/後輪駆動だが、前に発動機+変速機/後輪で駆動は、20世紀中の主流になるFRの原型登場だった。
PL車は始まったばかりの自動車レースで大活躍。が、パリ~マルセイユレースで、ルバッソールが転倒死亡するが、その後もPLマークが生き続けるのは、ロールスロイスと同じである。
WWⅡ前までのパナールは好調で、お洒落だったり、金満家御用達だったり、名門にふさわしい活躍を続けるが、戦後の舵取りで失敗、67年まで頑張ったあと、長い歴史の幕を閉じた。
その戦後に登場したのが今回のディナパナールだった。
日本は戦時中、敵性用語として英語禁止だったが、戦後は英語なら何でも格好良かった。で、おかしな間違いが生まれた…輸入されたパナールを、専門紙/誌や一般紙/誌が{ダイナパンハード}と紹介した。DYNA・PANHARDを、うっかり英語読みしたのだ。
さてパナールの戦後は経済車に絞り、54年にディナパナールが生まれた。軽合金ダイカストフレームの軽量ボディーと空冷水平対向二気筒、空力優先のスタイリングは、車なら何でもよかった日本人が「変な車」と云ったほど違和感を感じる姿だった。
フランスでもたくさん売れた車ではないが、60年に少しスマートに変身のPL17型も、相変わらず変な車だった。が、走れば素晴らしい…小柄なのに6人が苦もなく座れる室内の広さ、乗り心地の良さにも感心した。が、851cc空冷水平対向二気筒OHVが、採算性を考慮して、アルミからスチールに変わっていた。
全長4577㎜全幅1688㎜全高1550㎜。見た目小柄だが2577㎜というロングWBでキャビンの広さを稼ぎ、セミモノコック製ボディーは865㎏と軽量で、40馬力は非力でも最高速度125㎞を実現。
62年にスポーティーバージョンが追加された。こいつは50馬力で最高速度152㎞にも達した。この辺りになると空力優先スタイルが威力を発揮したことだろう。
我々は変な車と笑ったが、ディナパナールは高性能を引っさげて、数々のラリーに優勝し、ルマン24時間ではパフォーマンス部門で優勝を果たしている。
日本では東京渋谷栄通二丁目八番地の新東(株)が輸入元だったが、営業成績はパッとしなかった。
ディナパナールは、ロンドンのアールスコートショーで華々しくデビューしたが「シトロエンとパナールは変わり種」と英国人ジャーナリストが評価したそうだ。