1966年ローマのグッドイヤーで紹介されたF.F,ビアンキーニは、スタジオイタリアーノの重役で、英国なまりの英語はWWⅡ中に英国BBCでイタリア向け短波放送の担当だったからと云う。
ラテン系イタリア人らしく、彼も明るく陽気で親切。トリノの自動車ショーで「綺麗だ」見とれていたランボルギーニ・ミウラを、頼みもしないのに借りてきてくれた。

が、万事上手くいくとは限らない。悪気はないが時にはずぼら…ある日ホテルから電話をすると「丁度良かった明日新しいフェラーリに乗れるから10時にホテルで」と云う。
が、翌日10時を過ぎても来ない…待ちくたびれて11時に彼の事務所に電話をしても誰も出ないので、知人の東和映画ローマ駐在員清水さんに電話をすると「馬鹿だねぇ今日は祝日だよ」だった。
仕方なくフロントに行くと「15分後にポンペイ観光のバスが出る」と云う。慌ててカメラを持ちバスに跳び乗った。瓢箪から駒で念願の遺跡見物はビアンキーニのずぼらのせいだった。
1930年頃から発掘、戦争を挟んで60年代の公開部は今から見ればごく小規模だったろうから、あれから50年、是非見たいものだ。

さて翌日「昨日は祭日だから約束などするはずがない」とケロッとしたもの。そして「面白い英国フォードがあるから夕方ホテルで」と云うが、試乗するのに夜とは変だと思った。
が待てよッ…以前日本万博のため与謝野秀駐ローマ大使を紹介したことがある?いや昨日の詫びのつもりか?いずれにしても旨い御馳走にありつけそうだ、と胸をふくらませたのは浅はかだった。
夕方電話で下に降りると、ヒルトンの玄関に青いコルセアが駐まっていた。変わり映えもしない姿に、またやられた?と思ったが「早く乗れ」と促しながらの薄笑いが気になったが、エンジン始動→ライトONで薄笑いの謎が解けた…夕焼けでもないのに辺り一面赤く照らされている…気が付くと四本のタイヤが赤く煌々と輝いていた。

種を明かせば、グッドイヤーが開発した透明なタイヤの中に赤色ネオンが仕込んであったのだ。車のドアにはMOTORのステッカー。で、紹介されたのが車雑紙クワトロルオーテ編集部アレッサンドロDフェラーリ…ふと気がつけば、苦手な英語で聞き違えたのか、彼の説明が悪かったのか、いずれにしてフェラーリは来たのだ。
いずれにしても記事が書けると思ったのに、取材される羽目になった…ミイラ取りがミイラになったようなものだが、赤く光る車でローマを走り、名所旧跡で写真を撮られ、興味津々の人目にさらされ、コメントを取られて閉口した。
数ヶ月後ローマの清水さんから手紙で{日本の著名ドライバーがローマを走って上機嫌}の見出しでGY社のPR誌に載っていたと…要はローマにチンドン屋出現といったところだった。
ちなみにフォード・コルセアは54年のデビューで、サンダーバードに似た顔が特徴で、1.8L65馬力・最高速度130㎞という性能。
さて期待のレストランは町外れの大衆食堂、食いしん坊としては落胆したが、隣り合わせたモデルが、すこぶる美人だったのが、せめてもの救いだった。
