初めてのローマは1966年だった。まだ成田空港がない頃、関東の国際空港は羽田空港で、羽田を出発したのが午後8時頃である。
ジャンボ登場以前、パンアメリカン航空(通称パンナム)の機体はボーイング707型で、120人しか乗れなかった。それでもデカイ飛行機だと感心した。その頃、パンナムの世界一周便は、西行きがクリッパーワン、東行きをクリッパーツーと呼んでいた。いずれ説明する機会があるだろうが、WWII以前からの伝統の便名なのだ。
冷戦たけなわ、シベリヤ上空など飛ぼうものならたちまち撃墜の時代だから、距離が短かい北回りは飛べず、自由諸国の長距離旅客機はどれもが南回りの長い道のりを飛んでいた。
プロペラ機からジェットになったばかりのジェット旅客機は、速度は速いが航続距離が短い(プロペラ型旅客機の時速は500キロ前後、ジェットは900キロオーバー)。航続距離が短い南回りは、点々と着陸給油を繰りかえながらの飛行である。もう記憶が定かではないが、最初が深夜の香港、次がバンコック、夜が明けた頃にインドのデリーへ。
デリーでは生まれて始めて見る、珍奇な光景に出合った。タラップからインド人作業員が機内清掃に乗り込んでくる。綺麗な作業服の一人に続いて乗ってきた身なりの悪い一群が不思議な行動を。
何が不思議かというと、彼らは中腰の姿勢で乗ってきて、中腰のまま清掃を続け、中腰のまま降りていった。顔を上げることもなく床だけを見つめて清掃作業を続けた。
「先の一人は身分が高い監督・身分が低い作業員は床掃除専門・立ち上がってはいけない・上を見てもいけない・もし客と視線が合い苦情が出たら即刻首で賃金も貰えない」とデリーから乗ってきたイギリス紳士が珍奇な光景の絵解きをしてくれた。
中学生時代に習ったインドの身分制度、カーストを目の当たりに見たのだが、嫌な気分になった。
石油ショック前のテヘランは長閑な田舎の空港という風情。(写真トップ:1960年代のテヘラン空港は、長閑でノンビリとしたところだった。右遠方にプロペラ型旅客機。取材用のキャノンIVs型とキャノンペリックス型を首から下げてポーズ)イスラエルと険悪になる前のベイルートも穏やかで、駐機中に入った土産物屋には、金細工や真鍮細工、革や絨毯織物が並んでいた。
目的地ローマのダビンチ空港に着陸したのは午頃だから、羽田を出てから飛行時間だけでも延々25時間ほど飛んでいたことになる。
出国手続きが終わり、ハーツの空港内レンタカー事務所で、東京で予約したフィアット1500を受け取る。料金は、1日3.3ドル(1188円)、150粁を越える1粁毎に6.5セント(23.4円)。返却時には満タンという契約である。
その頃フィアット1500の値段は120万リラ。1ドル=360円時代の1リラは60円だから、日本円に換算すれば72万円ほどで買える少し上等な大衆車である。性能は、1481㏄で83馬力。4MTで最高速度155キロ。(写真左:レンタカー屋ハーツのカタログ:ローマ空港からミラノ、トリノの旅に使ったレンタカー、フィアット1500が表紙に)
イタリー最初の目的は、トリノの自動車ショー。で、その晩泊まる目的地ミラノに向かって空港を出発、と勇んだ所でハタと困った。
空港玄関口、ダビンチ考案ヘリコプターのモニュメントが建つ目前の大きなロータリー。日本は左側通行、こちらは右側通行、さてどっち廻りなのだろうか?ということだった。イライラしながら待つこと5分ほど、隣の車に荷が積み込まれて出発した後について難問解決、めでたしめでたし。
次の難問は高速道路で待っていた。アウトストラーダ、直訳すれば太陽道路。高速道路に乗るまでは良かったが、速度制限が最高60㎞の国から来た東洋人に、初めての高速道路はとにかく速すぎた。
が、目的地ミラノまでは600㎞。とにかく急ごう。恐る恐る右のレーンを時速100キロで走っているうちに、徐々に周りの速い車にも目が慣れてきて、調子が出てきた。それではとレーンを左の速い方、三列ある真ん中に移した。別に問題もなく、徐々にスピードも上がり、気が付けば速度計の針はカタログ性能いっぱい、150㎞を少し越えていた。
調子づいて走り、ふと気が付くと前方に青い天井灯を点滅しながら走るアルファロメを見つけ、反射的にブレーキを踏み減速する。この辺りは、島国から来たドライバーの悲しき習性だが、近づくとパトカーなので、そのまま後に付いて走る。
この高速道路の制限速度は何㎞なのだろう、と目を配るが速度表示の看板がまるでない。そうこうするうちに後方から速い車が近づいてきた。どうするか?興味津々でいると、パトカーなど眼中にないといった感じで、ゴボー抜きして走り去った。
「こいつは追い越しても大丈夫そう」と、おっかなびっくり、敵を刺激しないように追い越してみた。が、何も起こらない。で、少しずつ距離を開きながら、カーブでバックミラーからパトカーが消えた途端に、再びアクセル全開走行に復帰した。
この先は、次回に。