2008年10月、パリのオートサロン取材に向かう途中、ロンドンに三日滞在した。写真収集目的の航空博物館巡りのためである。
私の小学生時代は太平洋戦争と重なり航空少年だったから、大きくなったらの目標は、戦闘機乗りだった。
が、敗戦で夢は破れ、もう二度と飛行機乗りなどと諦めていたら、占領軍は意外とおおらかで、1952年航空禁止解除、日本の空に、定期便や新聞社機などが飛ぶようになった。
で、しめたとばかりに入部した大学航空部は、実質グライダー部だった。が、敗戦の後遺症で慶大といえども貧乏でグライダーがなく、朝日新聞の学生航空連盟に所属して腕を磨いた。
やがてソアラーの飛行機曳航許可という直前に、米国製二座席パイパー機で訓練を受け、飛行機操縦のイロハを習得した。
大卒後就職し、三年で脱サラした仕事はまあまあで、貯めた金で64年に中古でボロボロ、隙間から雨漏りがする53年型四座席パイパー135馬力を250万円で買い、念願の自家用機オーナーに。
いずれにしても少年時代からの飛行機マニアは飛ぶことと共に、ことあるごとに航空博物館巡りで、日米英仏ニュージーランド中国と訪問を続けたが、英国では二日で三カ所という強行軍だった。
親友の自動車界では名物男の三本和彦さんの実弟・実さんが長年ロンドンに住み博物館巡りを助けてくれた。彼のレジェンドで走り回る道すがら、助手席から写真を撮りまくる。
左側通行の英国の高速道路を走るトラックは行儀良く左車線を走っている。我が国のように追い越し車線をブッ飛んでいく不届き物は皆無だ。それを追い越していくうちに気が付いたことがある。
大型トレーラーの車輪の一軸が廻っていない。「空荷か積荷が少ない時は一軸上げると転がり抵抗が減り燃費向上」と教えてくれた。で、注意するとそんなトレーラーが沢山走っていた。
で、証拠写真と構えたら、これが至難の業だった。
数米ほど左を前から後ろに過ぎ去る写真を撮るのは実に難しい。大型ニコンはトランクの中、ポケットには5月に買った小型デジカメ広角28㎜ニコン・クールピクスP50。先ずベルトに束縛された助手席で追い写しは無理。また液晶画面では、距離数距離を、瞬時に過ぎ去る車輪など捕らえようもない。
ならばファイダーで…これも駄目…CCDからの信号は実像ではなく、ここぞとシャターを押した時には既に実車は過ぎ去ったあとだから写らない。デジカメとは不便な物とつくずく思った。
で、最後の手段は西部劇風早撃ちガンマンの腰だめ射撃…カメラを胸前に保持、目視と勘での射撃だが、映画のガンマンではないから外れっぱなし…でもへこたれずに{下手な鉄砲も数打ちゃ当たる}とばかりに、打ちまくった結果の二枚を紹介する。

さて、博物館巡りは、RAF博物館で貴重な一機に出会った。
川崎製五式戦闘機。五式=昭和19年だから生産期数が少ない珍品、博物館巡りでは歴戦の強者の私も初対面だった。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。