レオなどと云っても、ほとんどの人が知らない時代になった。(トップ写真:レオフライングクラウド8-30四ドアセダン)
もっともトラックに詳しい人なら認知度は高いブランドである。
トラックもバスも昔日本で走っていたそうだが私は知らない。
米国の博物館で見たレオは、大柄で高級感ある容姿だった。
1904年/明治37年創業の老舗である。36年迄の32年間、高品質な高級車を少量生産する会社だったようだ。
1897年創業のオールズモビルから抜けたREオールズが、レオの創業に大株主として参加し開発にも参加。車は二気筒16馬力で最高速度56㎞、値段1250ドル。同年代のフォード二気筒14馬力の950ドルからも、レオの高級さが判ろうというもの。
レオは、1927年から、ペットネームをフライングクラウドと呼ぶようになる。ちなみに30年前後のセダン、クーペ、オープンなど各種モデルは、20・21・25・30・8-31・8-35に分類される。
レオが一番売れたのは30年で約1万1000台。そして31年には一気にモデル数を増やし、二種類の直列八気筒を新開発に。
ちなみに、直列六気筒の性能は3435cc60馬力と4292cc85馬力・直列八気筒は4297cc90馬力と5728cc125馬力だった。
レオが売れた30年、全米の乗用車生産量は260万台で、内100万台がフォード、62万台がシボレーだった。
その中で高級車レオの1.1万台は、立派な売上げである。
31年、レオの販売数9838台で、トップ写真の8-30フライングクラウド・エイト四座四ドアセダンは125馬力で、販売数925台。
なお、31型と35型はビクトリアと呼ぶ最高級シリーズでWB3275㎜で、8-30が707台、最上級シリーズ8-35が2711台も売れているから、高級車市場でのレオの人気が高かったことが伺われる。
私が米国で見たレオは、胡桃材を使ったインテリアが素晴らしかったが、ただ高級だけではなく、斬新メカも貪欲に取り込んでいたようだ。
早くから変速機にはシンクロメッシュを採用、重いくクラッチの踏力軽減のために吸気間にホールドの負圧を利用したサーボ装置を付けたり、空力考慮のボディーで{二割も空気抵抗を軽減}と自慢もしている。
さて、20年代を謳歌した米国高級車の多くが、30年代に入ると淘汰の波に飲み込まれたが、レオも例外ではなかった。