【車屋四六】命みじかし斬新カイザー
カイザーといっても、もう知っている人は少ない。カイザーフレイザー社の作品である。ヘンリーJカイザーと、ジョセフWフレイザーが創業者だが、非常に短命な会社だった。 創業は、WWⅡが終わった翌年の46年。カイザー(82~67 […]
続きを読むカイザーといっても、もう知っている人は少ない。カイザーフレイザー社の作品である。ヘンリーJカイザーと、ジョセフWフレイザーが創業者だが、非常に短命な会社だった。 創業は、WWⅡが終わった翌年の46年。カイザー(82~67 […]
続きを読むWWⅡ後の日本で、世界の先進技術に追いつけと外国メーカーとの技術提携が流行った。英国ルーツグループと提携したいすゞが、ヒルマンのノックダウンからの出発は、何度も書いてきた。 世界有数の乗用車生産輸出国だった英国は、WWⅡ […]
続きを読むロールスロイスやベントレイ、マイバッハなど特別な高級車を除き、日本でステイタスなのはベンツと云って良いだろう。正しくはメルセデス・ベンツだが、WWⅡ後の昭和20年~30年代半ばまで、マニアを除いて日本では知名度が無かった […]
続きを読むクランク棒などといったところで、判るのはかなりな老人である。ふと気がついたら、既に乗用車の装備品から消えていたのが、50年ほど前だった。 それ以前は、乗用車、トラック、バス、クランク棒は一本ずつ標準装備品で、大体はトラン […]
続きを読む日本でサンバーといえば、富士重工の軽商用車のことだが、語源は、インドに生息する東南アジアでは最大の鹿”水鹿”のこと。 スバル360で軽市場の主導権を握った富士重工の、次の企画が軽4輪貨物車だった。 […]
続きを読む1971年登場のLC10W、商品名スズキ・フロンテクーペは、日本初の軽自動車業界の本格的2座席GTだった。 初対面、その垢ぬけたプロポーションも道理、デザイナーはイタリアでカロッツェリアを創業したばかりのジョルジオ・ジウ […]
続きを読む夏が過ぎて秋が来る頃になると、我々は毎年「今年のイヤーカーは」を話題にする。現在、雑誌媒体が仕切る日本カーオブザイヤーと、一匹狼がポケットマネーで運営するRJCカーオブザイヤーの二つが日本を代表するイベントだが、RJC発 […]
続きを読む職業柄、新車が登場すると、広報車を借りて、私なりのデータ収集と写真を撮ること約50年間。若い頃は年間120台ということもあったが、70歳を超えて気力が衰えた近頃では年間60台前後が精いっぱいだ。 で、毎週、新車が駐まる我 […]
続きを読む日本市場でのルノーは、浮き沈みの激しいブランドで、その輸入権はジプシーのような旅の連続だった。日産がルノーの資本で立ち直り、青い目の社長が来日して、今では日本のルノーも日産傘下。 ルノーは1899年創業という老舗で、WW […]
続きを読む東京モーターショーと改名されたのは昭和39年=1964年から。それまでは全日本自動車ショーだった。その第1回目が開催されたのは日比谷公園。そして第2回、第3回の後、第4回目で後楽園競輪場に移った。 が、後楽園開催は1回だ […]
続きを読む