【車屋四六】昔のパワーアップ用品
“君はもう帰らない”何十年か前の警視庁交通安全ポスター。事故を起こしてからでは遅いぞという教訓である。 この若者(写真左)は、ハリウッドに彗星のように現れて、わずか24才で逝った名優ジェームス・ディーン。彼は、スピード狂 […]
続きを読む“君はもう帰らない”何十年か前の警視庁交通安全ポスター。事故を起こしてからでは遅いぞという教訓である。 この若者(写真左)は、ハリウッドに彗星のように現れて、わずか24才で逝った名優ジェームス・ディーン。彼は、スピード狂 […]
続きを読むサバンナはロータリーエンジン(RE)車専用に開発された車だ。その初代はツードアクーペで、走りの良さ、豪快さに舌を巻いたものである。 当時サーキットで無敵を誇るのはスカイラインGT-R。それをサバンナGTが破った。マツダが […]
続きを読む何故か、日本でスクーターというとラビットの名が先行する。ラビットは、富士重工の前身、合併前の富士産業の製品。そのラビットと熾烈な戦いを演じたライバルがシルバーピジョン(写真トップ:三菱製スクーター、ふそうC-11シルバー […]
続きを読む写真トップは昭和29年=1949年の宇都宮飛行場で、米軍連絡機デハビランドビーバーと米軍将官の自家用車シボレー。この飛行場は自衛隊向け航空機を製造する富士重工宇都宮工場に付属しているので、現在民間機の着陸はできないが、当 […]
続きを読む近頃のアメリカは、走り屋にはつまらぬ国になった。あの広大な大陸、地平線から地平線まで延々と続く道路を、時速50マイル(80㎞)で走っていたのでは、それこそ日が暮れてしまう。 が、昔は、ビュンビュンと走ることができた。 せ […]
続きを読むBMWになる前のミニは、超廉価版大衆車として開発された。なのに、ルイヴィトン、ロレックス、カルチェ等々、過剰に贅沢を知りすぎた日本で人気が落ちないのが不思議だった。90年代、世界各国で輸入中止の中「日本のために造っている […]
続きを読む茨城県の谷田部自動車高速試験場で、クラブマン谷田部タイムトライアルレース大会が開催された。コースは高速周回路の筑波山側北半分を使ったので、中間部にバンクも含まれていた。 1965年2月28日の寒い晴れた日で、くっきりと筑 […]
続きを読む68年、69年、サーキットの花形は、大排気量エンジンにフルカウルボディーのグループ6と呼ぶレーシングカー達だった。豪快なエキゾーストノートをまき散らしながら駆け抜ける姿は、見る者を興奮の世界に誘い込んだ。 67年までのG […]
続きを読む昭和37年=1962年は、プリンス自動車にとり、忘れられぬ年である。会社が大きく飛躍した年だからだ。 東洋一を誇る規模の生産工場が村山に完成。2階建ての東京港区三田のプリンス自販ビルが、堂々の8階建てビルになり、スカイラ […]
続きを読む長い年月をかけて売り込んだブランドというものは、それだけで大きな値打ちがあり得難い財産である。そんなブランドを捨てる企業を見かける。将来に対する自信か、軽はずみか、事業不振で藁にもすがりたい気持ちなのか、いずれにしても強 […]
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