【車屋四六】RE軍団バブルに乗って快進撃
1983年度の流行語{オシンドローム}の語源はNHK朝ドラ{おしん}。TV最高視聴率60%強を記録した橋田壽賀子原作…小林綾子→田中裕子→乙羽信子と引き継がれたヒロイン三代の奮闘記は、今でも全世界で放映される傑作ドラマと […]
続きを読む1983年度の流行語{オシンドローム}の語源はNHK朝ドラ{おしん}。TV最高視聴率60%強を記録した橋田壽賀子原作…小林綾子→田中裕子→乙羽信子と引き継がれたヒロイン三代の奮闘記は、今でも全世界で放映される傑作ドラマと […]
続きを読む1980年代の三菱は元気一杯だった。クライスラーと合弁してダイアモンドスター社設立→米国現地生産、マレーシア・プロトン社で現地生産、ベンツと提携、韓国現代自動車に技術供与、等々。 ギャランの日本カーofザイヤー受賞には私 […]
続きを読む小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」→{禁演パイポ}のCMが話題になった1984年、珍獣ブームが起きた。 発端は三菱ミラージュの、なんとも可愛い、いやかわいそう?な必死に走る{エリマキトカゲ}のTVCMからだった。 […]
続きを読む1984年/昭和59年1月26日発行の週間文春{疑惑の銃弾}で火が点いた話題が大報道合戦に発展…妻がロスで撃たれ植物人間になり、一年後に死亡して一度は世間から忘れられた事件が{保険金1億5000万円を夫が…}という見出し […]
続きを読む1952年の300誕生で高級車メーカーの地位を取戻したベンツは、57年に米国市場のハードトップ流行に合わせて、側面のシックスライト全ての柱を取去り、これぞ完璧というハードトップに変身した…そして燃料噴射になったエンジンは […]
続きを読むヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。 あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的 […]
続きを読む乗用車開発で避けて通れない課題が空力…いわゆるCd値というやつ。Cd=0.3前後で胸を張ったのは20世紀中、現在では0.2の領域で争っている。ちなみにジャンボジェットは0.1だ。 空力重視の最先端は飛行機だが、乗用車と共 […]
続きを読む僅か150㎞、隣町とも云える所で、なんの面識もないダイムラーとベンツが、ほぼ同時に自動車開発に成功して宿敵同士となり、町→州→ドイツ→欧州へと、熾烈な戦いの場を拡げていった。 先ず1896年、ベンツは水平対向二気筒を完成 […]
続きを読むダイムラーの二輪車が走った半年後にベンツの三輪車も走る。 「史上初は」と聞かれたら「ダイムラーとベンツ」と答えたい。お互い知らずに150㎞ほど離れた町で努力していたのだから。(トップ写真はベンツ開発の4サイクル電気点火高 […]
続きを読む19世紀は蒸気機関の世紀、20世紀は内燃機関の世紀と云える。その内燃機関は、ダイムラーとベンツが、お互い何も知らずに、わずか150㎞しか離れていない町で開発に没頭していたのだ。どちらが先?と云えば、僅かだがダイムラー、エ […]
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