乗用車製造禁止時代のパッカード
「パッカードの真価はオーナーに聞け」は創業以来の名文句…「セールストークは他社の商法」とうそぶき、その高級高品質は世界に浸透し、米国のロールスロイスとも称された。 ドイツが1939年、日本41年、WWⅡ突入で、米国自動車 […]
続きを読む「パッカードの真価はオーナーに聞け」は創業以来の名文句…「セールストークは他社の商法」とうそぶき、その高級高品質は世界に浸透し、米国のロールスロイスとも称された。 ドイツが1939年、日本41年、WWⅡ突入で、米国自動車 […]
続きを読む江戸時代のキリシタン禁制が解かれた明治6年/1873年にドイツで創業したのがミシンメーカーのNSU/エヌエスウー。そしてNSUが自動車を作り始めたのが1905年/明治38年。日露戦争で旅順陥落、日本海でバルチック艦隊が壊 […]
続きを読むトヨタ2000GTの開発目標は、儲かる車造りではなかった。 目の上のタンコブだった日産との戦いに目処が立ち、次ぎなる目標は車では上から目線の自動車先進国に「トヨタここにあり」をアピールする作戦だったように思う。 で、58 […]
続きを読む高田嘉七は1931/昭和6年生まれ。昭和31年頃毎晩通う銀座のドイツ人経営ビアレストラン、ゲルマニアで知り合った50年来の友で、高田屋嘉平の七代目の孫なので嘉七なのだ。 司馬遼太郎{菜の花の沖}の主人公嘉平は、江戸豪商十 […]
続きを読む90年代、流行を始めたRVを持たないホンダがジープ(チェロキー)を売ったことがある。で、大きな販売網に載ったジープは売り上げを伸ばし、高値安定の輸入車価格破壊の火付け役にもなった。 ジープは、クライスラーがAMCを吸収し […]
続きを読む「赤信号みんなで渡れば怖くない」ビートたけし、「からすの勝手でしょ」志村けんなどが流行語の1980年は漫才ブームだった。 その年、日本は自動車生産台数1104万台で遂に世界一に、日産からはラグジュアリーなレパードが誕生し […]
続きを読む東京麻布の住人なのに、私の愛車ホンダS600は多摩ナンバー。 その理由は、発売直後で東京方面の配車間に合わず、立川ホンダSF扱いだったから…いうなれば内緒の越境販売だったのだ。 ロンドンにミニスカート登場、平凡パンチ創刊 […]
続きを読む1997年の東京モーターショーでの「懐かしの名画」コーナーで、1922年型ダッジを見つけた。映画グレン・ミラー物語に登場というのだが、22年というとフランスでGPレースが始まり、トランペットの巨匠ルイアームストロングが、 […]
続きを読むリタヘイワースと聞き、肯く人はかなりな年輩者。敗戦後、娯楽に飢えた我々を楽しませてくれた米国映画の大女優だった。 映画を見たモナコのレーニエ国王の求婚で、グレースケリーが王妃になったように、印度のマハラジャ・アガカーンの […]
続きを読む昔ガソリンには鉛が入っていた。不整燃焼/ノッキング防止のためだが、公害排除目的で鉛混入禁止になった。法的無鉛化実施は1975年、蒸気機関車SLが曳く列車が日本から消えた年である。 そのころ見るからに堂々姿のロードペーサー […]
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