世紀の名品フォルクスワーゲン/KdFの誕生
20世紀は自動車発展の世紀だが、たくさん生まれた車の中から最高を絞り込めば、最後はフォードT型とフォルクスワーゲンにたどりつく。高級車、名車は数々あるが、大衆の移動道具としての自動車普及に果たした役割が大だからだ。 独裁 […]
続きを読む20世紀は自動車発展の世紀だが、たくさん生まれた車の中から最高を絞り込めば、最後はフォードT型とフォルクスワーゲンにたどりつく。高級車、名車は数々あるが、大衆の移動道具としての自動車普及に果たした役割が大だからだ。 独裁 […]
続きを読むWWⅡが終わり、民間の物流が盛んになると、タクシーも走り出した。といっても自動車生産は中止、輸入も出来ない、そこで戦争中を生き残った中古車が狩り出された。 走る乗用車なら何でもありだが、やはり戦前大量に国産化されたフォー […]
続きを読む性能はともかくダットサンスポーツDC-3は、日本で記念すべき名車だと思う。時期尚早、敗戦貧乏の日本では売れるはずもなく、1952年誕生→53年生産中止。50台ほどが生産され、売れたのは半数ほど。当時のスポーツカーファンは […]
続きを読む日本自動車業界の会社では、最古の老舗はダイハツ。創業1907年/明治40年という社歴を誇る会社である。創業時の社名「発動機製造」が示すように内燃機関製造販売で、動力用として発電、船舶、鉄道など多方面に納入活躍した。 そし […]
続きを読む1950年代に入ると、米国車にクラッチのない車を見掛けるようになり、それを我々はノークラッチ→ノークラと呼んでいた。当時オートマチック/ATという言葉を使う日本人はほぼ居なかった。 もちろん日本製乗用車にそんな物はなかっ […]
続きを読むWWⅠ後の1924年ドイツに登場した軽自動車ゴッゴモービルは、敗戦貧乏庶民にふさわしい車として迎えられた。同様に、WWⅡ敗戦の日本にもフライングフェザーと呼ぶ、優れた軽自動車が登場したが、受け入れられなかった。ドイツの戦 […]
続きを読む親友から「妹が車を貰ってきた」と言われた。 フジキャビンのモデルを頼まれ、キャンぺーンが終わったら持って帰れと云われたと云う…出演料のオマケだったようだ。 昭和20年代日本の女は常識的に大根足だったが、妹は珍しくすらりと […]
続きを読む教科書にも出ている豊田佐吉は著名だが、成功した自動織機と共に自動車開発も夢見ていた。が、時期尚早で、夢は長男喜一郎に託された。で、喜一郎は豊田自動織機社内に自動車部を創設し、研究開発を始めた。 そこで未知の世界の手本とし […]
続きを読む昔はキャデラック八座席リムジンやジャガーMK-Ⅶなど、昭和30年代初頭から乗り継いで、小生最後の登録車は、小さな高級車と呼ばれたトヨタのプログレだった…そして軽自動車に乗り換えた。 当時82才、終の棲家、いやツイの車とし […]
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