【車屋四六】カブト虫 富士スピードウェイで150キロ
この記事を書いた平成2年頃、NTV麹町ビル近くのビルの地下に、ドイツ音楽と酒と食事の”パウケ”という名の店があった。平成21年、ネットで調べたら、まだ在るようだ。当時の店の主人、ベルン・シュタイン […]
続きを読むこの記事を書いた平成2年頃、NTV麹町ビル近くのビルの地下に、ドイツ音楽と酒と食事の”パウケ”という名の店があった。平成21年、ネットで調べたら、まだ在るようだ。当時の店の主人、ベルン・シュタイン […]
続きを読む1960年代半ば、ローマに行った。外国は言葉が通じないから、毎度知り合いを捜すことになる。2008年、ロンドン近郊航空博物館の写真撮影の旅では、三本和彦さんの弟、三本実さんの世話になった。また与謝野晶子の孫娘、与謝野文子 […]
続きを読む2400ドルで買ったカルマンギアが、二年後に4000ドルで売れて、500ドル足したらジャガーMK-IIになった話は前回。今度は私のカブトオートセンターで、商売としてVWカブト虫を扱った話。 その頃、駐留軍向けカブト虫の免 […]
続きを読む外車の輸入禁止で東京に梁山泊が出現。外車のヤミ相場が高騰したことを何度か紹介した。が、利益をむさぼったのは彼らばかりではなく、新車のオーナー達も賢く儲けた。そんな駐留軍兵士軍属や外交官の儲けはどのくらいだったろうか。 「 […]
続きを読む1954年までなら、2年間使ったら中古車なのに、輸入禁止の55年以降は、新車で240万円だったポンティアックが三年目新車になって、500万円にもなってしまった。輸入車の中では常に最高人気の高級車キャデラックも、ヤナセで3 […]
続きを読む梁山泊については「赤坂村の梁山泊」の話で説明したのでくどくどとコメントは省かせていただく。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)とは、各地の英雄が対立することと辞書にある。どちらも外車ブローカーが活躍する当時の芝赤坂界隈に当てはま […]
続きを読む終戦直後の進駐軍は治外法権、車輌は軍の記号だけで勝手に走っていた。もちろん日本の車は登録ナンバーが必要である。 やがて、占領業務が一段落すると、軍人軍属のプライベートカーも、一応陸運局に登録(といっても形式的にだが)する […]
続きを読む日本が敗戦で国中が貧乏のどん底に突き落とされてからの数年間の食糧事情は酷いもので、配給の食料だけでは足りなかった。正義感で頑張った正直判事の餓死がニュースになったほど。 だからアメリカの食料援助などで食いつないでいる日本 […]
続きを読む日本自動車がハドソンとフィアットの日本総代理店、ダンロップタイヤの日本総代理店ということを前回紹介した。 日本自動車の小川社長には、元気はつらつのお嬢さんがいて、名前は確か厚子さん。その頃では珍しい、グライダーの女流パイ […]
続きを読む未だ東京タワーが建つ前、桜田通りの三軒の外車ディーラー、日仏自動車と日本アメリカン自動車については、既に説明した。残るは三軒目の新朝日自動車になった。 所在地の琴平町なる町名は、江戸時代から鎮座まします金比羅大神宮に由来 […]
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