外車の輸入禁止で東京に梁山泊が出現。外車のヤミ相場が高騰したことを何度か紹介した。が、利益をむさぼったのは彼らばかりではなく、新車のオーナー達も賢く儲けた。そんな駐留軍兵士軍属や外交官の儲けはどのくらいだったろうか。
「天下御免“泣く子も黙る”3A84」で登場したスチュアートおじさんは、太平洋戦争中はハワイのロイヤルハワイアンホテルの一室で、極東戦線の財布の紐を握っていたマッカーサー司令官直属の大物会計監査である。憶えているだろうか。
彼の3A84カイザー47年型は、若い兵隊が買いに来たので「幾ら持っている?」「50ドルです」で、日本円18,000円で売れたあと「どうせ家内は君に相談するのだろうから好きな車を買っておいで」と云われて、とっさに思い浮かんだのがカルマンギアだった。(写真トップ:カルマンギア:デザイン・カロッツェリアギア。全長4140x全幅1630x全高1325㎜。2+2。車重790㎏。空冷水平対向四気筒OHV、1192㏄、30ps/3400rpm、RR。4MT)
もっとも、それが間違いだったと後で悔やむことになるのだが。
雑誌のグラビアで見たVWカルマンギアは、デビューしたばかりの美しいクーペだが、買えるわけでもないのに憧れていた。その名の由来は、デザインがイタリーのカロッツェリア・ギア。製造がドイツのカルマン社から来ている。VWカブト虫ベースで誕生したスマートな2+2クーペだった。
一目で惚れ込んだ理由は、その素晴らしいプロポーション。で、高性能スポーツカーを連想した。が、それが早とちりであり、間違いだったと、直ぐに気が付くのである。
「輸入が決まったばかりで現物はなくカタログだけですが」とヤナセのVW担当者が云うには、最初の注文は横田基地の将校です、今ご契約なら日本市場では八台目になります。
早速注文。ヤナセの駐留軍向け免税価格は2400ドル=日本円換算で86万4000円。もちろんドル契約だが、進駐軍から駐留軍に変わっても、彼らが基地や米軍施設で使うのは本国のドル貨幣ではなく、MPCと呼ぶ軍票なので、それで支払った。
注文してから三月ほどが経ち、待ちに待った白とグレーの美しいツートーンカラーのクーペがドイツから届いたと、ヤナセからの連絡があった。
芝浦のヤナセ本社で受け取り、イグニションキーを捻ったときは、天にも昇る心地で興奮していた。そのまま東銀座8丁目のMK自動車に向けて走ったが、銀座に着く前にがっかりしたのである。(親友が務めるMK自動車は野中重雄の英車遍歴の話で紹介)
がっかりの理由は単純明快。私のおっちょこちょい的感覚からのもの。落ち着いて考えれば、カブト虫のコンポーネンツに美しいボディーを載せただけなのだから、韋駄天走りなど期待する方が無理だったのである。
1192㏄水平対向エンジンは、カブト虫と同じ30馬力のままだから、パワーウエイトレシオ(馬力荷重)は26.3kg/馬力。MAX115km/h。どう転んでもダッシュするなど期待する方がおかしいのだ。
私の愚痴話はこのくらいにして、私の、いやスチュアートおじさんのカルマンギアが、ヤナセで登録してから二年が近づいた。待っていたかのように梁山泊からの電話が掛かってきた。それも複数で、電話、訪問、それも夜討ち朝駆け、その熱心さは感心するほどのものだった。
初めに来たブローカーの指し値は「2000ドルで如何でしょうか」だったが、ブローカー同士の競り合いで、面白いように値上がりしていった。
もっとも、日本で八番目に通関できる1958年型カルマンギアだから、市場での希少価値は充分、などと思って値上げ競争を眺めていると、とうとう4000ドルになった。
こちらで値上げ交渉などしたわけではなく、勝手な値上がりだったが、もうこの辺りでと手を打ったが、二年前に86万4000円払って二年間普通に乗り回して144万円、実に57万6000円の儲けになったのである。金儲け目的でのキャデラックやベンツ300なら幾らになるだろうと、考え込んでしまった。
で、また「次の車買ってらっしゃい」で、500ドル(18万円)足した4500ドルを、赤坂の新東洋企業に払ったら、1960年型ジャガーMK-IIに変身したのである。

首都高の最初は、新橋土橋から京橋までの堀を埋めて建てた、そのものズバリ鰻の寝床のようなビルの屋上を走る短い道路だった。そして数寄屋橋の朝日新聞前が少し膨らんで、数十台ほどが駐められる無料駐車場になっていた。
カルマンギアを売って数ヶ月が経ったある日、その駐車場に大阪ナンバーになった、見慣れたクーペが駐まっていた。中を覗くと、インパネに女友達のハンドバックの金具が付けた傷が、コンパウンドでは取りきれずに残っていた。
「カッコいいですね高かったでしょう」と話しかけると「240万円もしたんです」。得意満面の若者に、二年前に86万でした、先日144万円で売ったばかりですとは、とても云えなかった。
