【車屋四六】クラブマントライアルレース
茨城県の谷田部自動車高速試験場で、クラブマン谷田部タイムトライアルレース大会が開催された。コースは高速周回路の筑波山側北半分を使ったので、中間部にバンクも含まれていた。 1965年2月28日の寒い晴れた日で、くっきりと筑 […]
続きを読む茨城県の谷田部自動車高速試験場で、クラブマン谷田部タイムトライアルレース大会が開催された。コースは高速周回路の筑波山側北半分を使ったので、中間部にバンクも含まれていた。 1965年2月28日の寒い晴れた日で、くっきりと筑 […]
続きを読む68年、69年、サーキットの花形は、大排気量エンジンにフルカウルボディーのグループ6と呼ぶレーシングカー達だった。豪快なエキゾーストノートをまき散らしながら駆け抜ける姿は、見る者を興奮の世界に誘い込んだ。 67年までのG […]
続きを読む昭和37年=1962年は、プリンス自動車にとり、忘れられぬ年である。会社が大きく飛躍した年だからだ。 東洋一を誇る規模の生産工場が村山に完成。2階建ての東京港区三田のプリンス自販ビルが、堂々の8階建てビルになり、スカイラ […]
続きを読む長い年月をかけて売り込んだブランドというものは、それだけで大きな値打ちがあり得難い財産である。そんなブランドを捨てる企業を見かける。将来に対する自信か、軽はずみか、事業不振で藁にもすがりたい気持ちなのか、いずれにしても強 […]
続きを読むカイザーといっても、もう知っている人は少ない。カイザーフレイザー社の作品である。ヘンリーJカイザーと、ジョセフWフレイザーが創業者だが、非常に短命な会社だった。 創業は、WWⅡが終わった翌年の46年。カイザー(82~67 […]
続きを読むWWⅡ後の日本で、世界の先進技術に追いつけと外国メーカーとの技術提携が流行った。英国ルーツグループと提携したいすゞが、ヒルマンのノックダウンからの出発は、何度も書いてきた。 世界有数の乗用車生産輸出国だった英国は、WWⅡ […]
続きを読むロールスロイスやベントレイ、マイバッハなど特別な高級車を除き、日本でステイタスなのはベンツと云って良いだろう。正しくはメルセデス・ベンツだが、WWⅡ後の昭和20年~30年代半ばまで、マニアを除いて日本では知名度が無かった […]
続きを読むクランク棒などといったところで、判るのはかなりな老人である。ふと気がついたら、既に乗用車の装備品から消えていたのが、50年ほど前だった。 それ以前は、乗用車、トラック、バス、クランク棒は一本ずつ標準装備品で、大体はトラン […]
続きを読む高嶺=たかね、高根と書く人も居るが、昭和十年代、私が憶えた頃は高嶺だった。文字の読み方は時代と共に変わり、意味さえも変わるが、私は昔にこだわっている。 戦後初の自動車ショーは日比谷公園で昭和29年=54年に開催の全日本自 […]
続きを読む日本でサンバーといえば、富士重工の軽商用車のことだが、語源は、インドに生息する東南アジアでは最大の鹿”水鹿”のこと。 スバル360で軽市場の主導権を握った富士重工の、次の企画が軽4輪貨物車だった。 […]
続きを読む