【車屋四六】時計業界の大マイスターは自動車狂
写真トップは、オースチンセブンでご満悦の本間誠二。年来の親友だ。日本自動車研究者ジャーナリスト会議=RJCの会員だから、恒例行事のRJCカー・オブ・ザ・イヤーの選考委員でもある。 本間さんは、JAF創設頃からのメンバーで […]
続きを読む写真トップは、オースチンセブンでご満悦の本間誠二。年来の親友だ。日本自動車研究者ジャーナリスト会議=RJCの会員だから、恒例行事のRJCカー・オブ・ザ・イヤーの選考委員でもある。 本間さんは、JAF創設頃からのメンバーで […]
続きを読むランボルギーニは欧州のメーカーでは新参者だが、49年間に波乱に富む人生を送りしぶとく生き残る。その遍歴の旅は次の通り。 62年創業→63年350GTでデビュー→71年経営不振でスイス実業家が51%株主に→74年他のスイス […]
続きを読む第二次世界大戦=WWⅡを挟み、戦前戦後、ローバーのイメージは高級だった。そして50年代以降からの世界的淘汰の嵐の中でも、吸収合併を繰り返しならが、強かに生き延びていく。 そもそも1905年創業、英国きっての老舗だが、WW […]
続きを読むGMの最上位ブランドのキャデラックも、近頃のベンツ、BMW全盛の日本ではステイタス力がない。90年代に入りクオリティーを取り戻したのに、キャデラックのステイタス復権はなかった。 アメリカ人の乗用車用語でのクオリティーは、 […]
続きを読む第二次世界大戦が終わると、敗戦国はもちろん戦勝国も国の復興優先で、大衆向けの軽自動車、欧州ではバブルカーと呼ばれる車を、雨後の竹の子のように発表した。 戦争前一般庶民の生活には乗用車がなかった日本では、欧州より数年遅れで […]
続きを読むハドソンなどと云っても知らない人が多い時代になった。WWⅡまで、アメリカにはたくさんの自動車会社があった。戦時中はそれぞれが兵器生産に全力を挙げ、戦後は戦中空白の乗用車需要に応えて、再び全力投球、各社好成績を上げていた。 […]
続きを読む鈴木修会長の独特な経営で軽市場の王者になったスズキは、日本メーカーの中でいち早く海外市場に目を付け進出した。そんなスズキの源流は、トヨタと同様、織機製造の大メーカーだった。 創業者鈴木道雄は、1885年=明治20年、浜松 […]
続きを読むシーラカンスという表現はふさわしくないかも知れないが、生きているクラシックカーと云いたいのである。 平成6年だから94年だが、東京晴海クラシックカーショーに行った。初代クラウンやベレット、ジャガーXK120、ムスタング。 […]
続きを読むリアエンジン・リアドライブ、通称RRは、古今東西を通じて少数派だ。もっとも19世紀の自動車誕生後の10年間ほどは、ほとんどがRRだったのだが。 WWⅡ以後有名は、VWビートル、ポルシェ356→911、ルノー4CV。日本で […]
続きを読む80年代のプレリュードは、若者、中年、憧れのスポーティーカーだった。トヨタや日産、ライバルメーカーが、束になってかかっても勝てないダントツ人気車だった。 そんなプレリュードも、78年登場の初代プレリュード(写真トップ)は […]
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