初めてのパリ珍道中
外国旅行を{洋行}と呼ぶ時代に生まれ育った私には、映画でしか見ることがないパリは憧れだった。そんなパリ訪問がひょんなことから実現したのは、昭和41年/1966年のことである。 敗戦から、ふた昔が過ぎたとはいえ、未だ日本は […]
続きを読む{つわものどもが夢のあと}=正しくは{夏草や強者どもが夢のあと}…松尾芭蕉が{奥の細道}の旅すがら立ち寄った平泉で、源頼朝が弟義経を討ち、東北で栄華を誇った藤原三代も共に滅んだ古戦場の跡で詠んだ名句である。 話変わって、 […]
続きを読む諺で「三代目は家をつぶす」と云うが、コロナの三代目は、家を建て直し太い屋台骨となり、トヨタには孝行者だった。 小型市場にはびこる憎いダットサン打倒を目標に、57年登場の初代コロナは「だるま」と愛称されながらもあえなく討ち […]
続きを読む世界ではFWD/AWD=日本呼称FFの元祖は72年誕生のシビックと思われがちだが、一番乗りはスズキフロンテ55年、次がスバル1000の66年、ホンダN360が67年で、沢山の先輩が居る。 チェリーは日産初のFFという革新 […]
続きを読む2008年10月、パリのオートサロン取材に向かう途中、ロンドンに三日滞在した。写真収集目的の航空博物館巡りのためである。 私の小学生時代は太平洋戦争と重なり航空少年だったから、大きくなったらの目標は、戦闘機乗りだった。 […]
続きを読むこの手の軽三輪では、ダイハツミゼットが有名だが、ムサシ、ホープスター、三菱レオなど多種多彩で、WWⅡ以前からの三輪では名門のマツダにも、K360(トップ写真)があった。 創業時に東洋コルクを名乗ったように、マツダの源流は […]
続きを読む●ゴルハム號からリラ―號へ 日産の源流にたどりつくと其処には三輪車がある…制作者の米人ゴルハムにちなみゴルハム號と呼ぶ。(トップ写真:V型二気筒の三輪車ゴルハム號に乗るW・ゴルハム:ティラー/梶棒ハンドルとラッパ型警報機 […]
続きを読むタイプA・8CV(19→22年)で出発のシトロエンは、タイプB・29CV (21→25)タイプC・5CV(22→23)タイプC3・5CV(23→26)と順調に成長を続けた。(CV=課税馬力/仏) 見習ったフォードT型同様 […]
続きを読む「ドイツで生まれた車はフランスが育てた」はフランス人の誇りだ。自動車誕生で19世紀末から20世紀にかけ、製造会社創業が相次いだ。だから1919年/大正8年に一号車登場というシトロエンは、欧州では老舗ではない。 パリのモン […]
続きを読むWWⅡ中いすゞは、軍用トラックやディーゼルエンジン製造で貢献したが、敗戦後は乗用車市場を目指して英国ルーツグループと提携、ヒルマンの国産化で市場に参入した。 以後ヒルマン国産化で乗用車造りのイロハを学習し、ベレットを自主 […]
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