姿では最先端を走ったスチュードベイカー
スチュードベイカーという会社はもうないが、1902年/明治35年創業という老舗で、前身の馬車メーカーなら更に遡り、1852年ということになる。 さてWWⅡ中は、兵器生産に専念は当然として、戦後世界のGDPの半分は米国と云 […]
続きを読むスチュードベイカーという会社はもうないが、1902年/明治35年創業という老舗で、前身の馬車メーカーなら更に遡り、1852年ということになる。 さてWWⅡ中は、兵器生産に専念は当然として、戦後世界のGDPの半分は米国と云 […]
続きを読む2018年ゴーン会長逮捕、日産との主導権争いと世間を騒がしたルノーは、欧州では人気の高いブランドだが、何故か日本では迷走を続け、一握りのフリークを除いて人気が出ない。 昭和30年代に一度だけ輝いた時代があった。日野自動車 […]
続きを読む1991年は平成3年、日本はバブル絶頂で浮かれまくっていた。購買力ある日本らしく自動車ショーでも、各国力の入れようは並大抵ではなく、スーパーカー、F1、コンセプトカー、元気が出始めた韓国の現代や起亜、そして私の一番の出会 […]
続きを読む英国は戦勝国ではあるが、WWⅡでドイツ相手に戦った被害は絶大で、戦後は経済復興にテンヤワンヤだった。が、その目鼻もつき始めた1952年秋の英国アールズコートショーで、ヒーレー社の二座席スポーツカーのプロトタイプ「ハンドレ […]
続きを読む世界一の自動車大国だった米国で、WWⅡを挟んで淘汰の波を乗り越えたビッグスリーとは、上からGM→フォード→クライスラー。 そのクライスラーも安泰ではなく、世紀の合併劇と世界を驚かせたダイムラーベンツとの結婚…まさかの離婚 […]
続きを読む昭和38年(1963年)の第一回日本GPは、鈴鹿サーキット主催、JAF公認レースだった。が、62年発足のJAFは直前まで国際自動車連盟=FIAのレース公認権を持っていなかった。で、公認権を持つ日本自動車協会=JAAから権 […]
続きを読む1967年にカナダ建国100年を記念して、モントリオール万国博覧会が開催された。その未来都市パビリオンに、イタリア政府推薦で登場した一台のスポーツカーに観客の目が集まった。 出品はアルファロメオで、博覧会にちなみモントリ […]
続きを読むニュージーランド/NZは中古、いやクラシックカーの宝庫である。 それも展示ではない。街中を1950年代頃からの世界の車が日常の足として走っているのだ。 特に日本製乗用車が多いのだから嬉しくなる。聞くと、古い車が好きだから […]
続きを読む1920年代、未知の扉を開こうと探検旅行が流行った時代がある。 その一環で、シトロエンも果敢にチャレンジしたのが、未踏のアフリカの砂漠横断と欧州からのシルクロード制覇だった。 そこで活躍したのがシトロエンのハーフトラック […]
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