【車屋四六】ドイツ車といえばオペルとフォード
いまでこそドイツ車は、ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェ、フォルクスワーゲン、どれもが日本でのトップブランド。が、50年代の終わり頃までは、フォードとオペルが人気のドイツ車だった。 アダムオペル社の戦前は、ヨーロッパ最大 […]
続きを読むいまでこそドイツ車は、ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェ、フォルクスワーゲン、どれもが日本でのトップブランド。が、50年代の終わり頃までは、フォードとオペルが人気のドイツ車だった。 アダムオペル社の戦前は、ヨーロッパ最大 […]
続きを読む日本が貧乏だった頃、そう昭和20年代から30年代前半は、自動車というものは贅沢なもので、一般庶民はせいぜいタクシーかバス。ハイヤーなんて、なかなか乗るチャンスはなかった。 まして自家用車なんぞというものは雲の上だから、ど […]
続きを読むRVという言葉が日本に定着したのは90年頃のこと。R=レクリエーショナル、V=ビークルの頭文字、言うなれば”遊び車”である。20世紀も終わりに近づき日本経済は頂点に達していた。 食べるのがやっとの […]
続きを読む写真トップは昭和36年=1963年5月4日の鈴鹿サーキット。第一回日本グランプリ・ツーリングカーレース、CⅡクラス・400㏄~700㏄以下のパドック風景である。(日本グランプリ(鈴鹿)のパドックに並んだツーリングカークラ […]
続きを読むダイハツのルーツをたどると、創業時は「発動機製造株式会社」。資本金20万円、07年=明治40年創業。要するに日本の工業黎明期に、国産エンジンを造ろう、が目的の会社である。 昭和に入り、ディーゼルメーカーとして存在を誇示し […]
続きを読む自動車に詳しいオジンなら、写真を見てBMWと思うだろうが、違うのだ。日本同様敗戦の憂き目にあい、貧乏経済から立ち直ろうという過程で、ドイツにはたくさんの軽自動車が生まれたことは、既に何度も紹介したことである。 戦闘機や爆 […]
続きを読むフルッチョ・ランボルギーニは農家の息子だと何かの本にあった。第二次世界大戦中は空軍に在籍、戦争が終わり故郷に帰っても、家業を継ごうとはしなかった。 彼には商才があったようで、終戦で不要になった軍の余剰機械の放出を手に入れ […]
続きを読む波嵯栄ボブ=ボブ・ハザウエーは、漢字名でエントリーしていた。昭和13年12月31日というから大晦日に生まれたイギリス人で、当時は確か学習院大生だったようだ。 彼は、初期のレースでは名物男で、鈴鹿サーキット、船橋サーキット […]
続きを読むかつてイギリスは、世界最大級の自動車供給国だった。が、合併統合を繰り返し、かつての植民地にブランドを売り渡しながら、今では壊滅状態と云ってもおかしくない状況だ。 WWII以前にさかのぼれば、数え切れないほどの大小メーカー […]
続きを読む前々回でオオタ号、前回でたま号電気自動車、そして今回はたま自動車と富士精密、プリンスと続く話だ。 たま号電気自動車は「売れるかな」という当初の心配をよそに人気は上々。なにしろ世の中にはガソリンがないのだから、タクシー業界 […]
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