ダイハツ インドネシア国際モーターショーにコンセプトカー「HY Fun」を世界初出展
ダイハツのインドネシアの現地法人であるアストラ・ダイハツ・モーター(以下ADM)は、7月18日(木)~28日(日)にジャカルタで開催される「ガイキンドインドネシア国際オートショー2019(GIIAS2019)」に、コンセ […]
続きを読むダイハツのインドネシアの現地法人であるアストラ・ダイハツ・モーター(以下ADM)は、7月18日(木)~28日(日)にジャカルタで開催される「ガイキンドインドネシア国際オートショー2019(GIIAS2019)」に、コンセ […]
続きを読むダイハツの初の登録車コンパーノは、バン→ワゴン→セダン→スパイダーと順調に育ち、コンソルテ・ベルリーナへと進化する。 一方1966年、コンパ-ノスパイダーのシャシーに1251ccエンジン搭載、開発したレーシングカーPシリ […]
続きを読む21世紀に入った頃のダイハツは、念願のスズキからトップシェアの座を奪ったりと元気一杯だが、それ以前は何となく地味な存在だった。が、地味な印象とは裏腹に日本GPが始まった頃から、スポーツ活動には熱心な会社だった。 「積極的 […]
続きを読む二輪、三輪、どちらも成功すれば四輪製造、という構図は古今東西何処も一緒。マツダ、三菱、ホンダ、ダイハツのように。戦後100社以上も生まれた日本の二輪市場で、いまでも二輪に専念しているのは、ヤマハとカワサキだけになってしま […]
続きを読む太平洋戦争中、軍主導で四社に集約されたオート三輪は、戦後、新三菱重工/みずしま・明和自動車/あきつ號・三井精機/オリエント號・日新工業/サンカー號など新規参入もあり元気溌剌だった。(トップ写真:バーハンドル、一つ目玉、三 […]
続きを読む発動機製造(株)の製品をユーザーが「大阪の発動機」と呼ぶようになり、やがて{大}+{発}でダイハツが代名詞的に普及する。ならばと、ダイハツ工業に改名したのが1951年だった。 そんな51年に登場したのがオート三輪技術を生 […]
続きを読む三輪貨物の源流は単車と前回説明したが、その単車/オートバイは明治末期に日本に上陸したが、高価だから庶民には高嶺の花、もっぱら官公庁か金満家のレジャー用だった。 宮内庁は警護用、警視庁が警護&取り締まり(今の白バイが当時は […]
続きを読む創業目的は発動機国産化で、その産業用発動機は、明治→大正と活躍したが、昭和に入ると、他分野の事業展開に手を付けた。 さて昭和に入ると、輸入三輪貨物自動車が物流で活躍を始めるが、人気が出れば当然のように日本製が登場するが、 […]
続きを読む百数十社もあると云われる中国ほどではないが、かつて日本にも数多くあった自動車会社が時と共に淘汰が進み、今では両手の指で勘定できるほどになった。それは先進欧米でも同じで、発展途上中に起きる当たり前の現象である。 ダイハツは […]
続きを読む軽ハッチバック「ミライース」は、5月9日にフルモデルチェンジを実施した。この新型ミライースは、軽の本質である低燃費・低価格を追求するとともに、DNGAの原点を確立するモデルとして、スマートアシストⅢを搭載するなど(一部グ […]
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